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2009年6月 3日 (水)

なが〜〜〜〜い いつものたわごと

どうもです〜

みなさま、いかがお過ごしですか〜〜

僕は相変わらず、おバカに向かってつっぱしっている、、、んじゃなくて〜〜
気ままに進まさせていただいております〜〜

そこでやはりつじつまの合うことが多く(まあ、すべてにチューニングしているわけではないので100%とは言いきけませんが、ほぼ100%に近いと思います)。

そして僕自身に起こっていることのすべてが連動していて絶妙な位置関係や流れのタイミングで「今」が発生していて・・・
それは全部自分がイメージしたとおりになっていて・・・
でも、それには自分以外のすべての存在の協力があるからであって・・・
その位置からまた改めて「今」起こっていることを感じると、、、見ると、、、
なかなか面白いのです〜〜

先日、兵庫県の加古川という所に行って参りました。
そこにパートナーがいるからでっす。
つきのうち1週間くらい加古川で過ごさせてもらっています。

パートナーには二人のこどもがいます。

いつも、僕を気ままな感じで迎えてくれて本当にありがたい3人様です。

その大きな安心感によって僕は自分のスの姿でいることができます。
そしてそこからの景色でまわりを見回したわけです。

僕が加古川に行くタイミングでちょうどニュースで「新型インフルエンザ」の話が盛り上がっていてた。
そんで、加古川にいるタイミングで兵庫県で〜〜って話が発生〜〜

こりゃ〜
子供達、学校休みになるな〜
って思っていたら案の定、来週からお休み〜〜ってなった〜〜

先生達(子供達)は「ひまになる〜〜〜」って言って文句は良いながらもわくわくな感じだー

そんな感じではじまった朝、、、その日はもともとお休みの日だったからみんなでバトミントンに行こーってことになった。
が、施設に電話したら、、、、そういった公共の施設はお休みだって。
、、、ま、そうよね、学校がおやすみだからさ〜、、、ま、あたりまえではありますが、、、、
なんか「え〜〜〜」って感じでしたーー笑

ま、それでもまたそれぞれの動きになって、ひとりはフットサルに行ってくる〜って話になって出かけていくはずだったのだが、
子供はだめ〜って。
もちろんイエンフルエンザちゃんです。

ん〜〜〜

テレビでもその話題でもちきりです。

その夜はそんな不満をみんなでふっとばそうって意味もあったのか、ボーリングに行く事になりました。

靴も選んで、、、あとはボールを選ばなくちゃ〜〜あ、その前におトイレ〜〜ってなって
すっきりして受付けに戻ったら、パートナーがぷんぷんになってたー

子供達はだめなんだってさーーー!
だったら張り紙はるだとか、、さっさと言ってよー!
って。笑

みんなで、、、あれ〜〜ってなった。

結局その日は、家で過ごすことになったわけだが、いろいろと考えさせられた(・・・またです〜笑)

その日はやることが見つからない状態だった。
子供達は普段それぞれ問題なく過ごしていると思うが、僕がいる時は何かイレギュラーな設定を楽しもうとしてくれているわけだ。
だから、どこかに行こ〜ってことにもなるのだが、その「どこか」が機能しないと、、、
どーしていいのかわからなくなるのだ。

だから「おかーさん、どーする〜〜〜?」
「どーしたらいい〜〜〜?」
「なにするーーー?」ってこちら側に聞いてくるわけだ。

で、僕らは、じゃ〜〜ってことで、こんなんは〜?って提案する訳だが、、、、
大概は却下されますなー笑
ま、先生方、天の邪鬼なもので〜〜笑

はは
天の邪鬼なところは問題ではないのですが、やはりほとんどこちら側の選択に任せているってこと、、、
それとさらに細かく見ると、それを完全には受け入れていないってことが問題だと感じます。

あえて、このおバカから「問題」と発言させていただいているのは、現実問題彼らが、そして僕らがその選択の仕方で疲れているからです。

そしてその疲れは彼らも僕らが望んではいないってことです。
でもそれが起こっている、、、だからそれは「問題」、、、ですよね〜〜笑
ってなわけで、この「問題」をとりあげています〜〜

「どーする〜〜〜?」って言われるので、僕は「自分で決めたら?自分で好きなことをしたらいいよ、なんでもしたらいいじゃん」って言うとー
「そんなんわから〜〜ン」って言う。

かわいい

笑・・・・・は、いいとして、やはり「ん〜」って感じる部分もある。

これはほとんどすべての子供達に言えるのではないか、、、、
ある設定が設けられていないと自分のやることを見つけられないのだ。

そしてその設定に対して本当に了解しているわけではない。
その設定がなぜそうなっているのかをちゃんと説明されていないし、ほとんど問答無用な部分で成り立っている。

公共の施設の休止ー。
子供達はご遠慮くださいー。
外出もお控えくださいー。

子供達はその中にいる。
でも、その中で遊びなさいって言われてきたから、その中でしか遊べないと思っている。
でもそこは封じられている。
だから何をしていいのかわからない。
あたりまえだ。

ほとんどすべてを自分で決めてきていない。
正確には自分で選択してきているのだが、心から納得している訳ではない。
さらにそれさえもわからないくらいの封じられた中で、さらに限られた遊びにルールも設けられて提供されている。

自分で自分の特徴を見極めて、その時に自分が何をしたらばっちりなのかを見つけ、動き、創造するやり方を教えられてない。
だからできないのは、、、わからないのは当たり前だ。

それはなぜか、、、、、

は〜〜い
僕ら大人がそれをできていないからで〜〜〜す!!笑

って、笑い事じゃないんですが、笑ってしまうほど明らかで、あきれてしまう感じですな〜〜はは、、、、笑

これはいつも書いていることですが〜
ルールを設けるってことは、、、それが多いければ多いほど「自分達はブレブレで〜〜す」って言っているってことだ。

ブレブレ〜〜
いいんじゃないっすか〜〜笑
なにも悪くないっすよ〜〜

、、、、でもさ〜〜、そのブレブレの状態を「いえ!ブレてません!!!断じて!」って言っているかのいうに振る舞っている、、、、
人って、、、どんなです?
ブレていることを知られたくないから、引きこもって、心を開けないで自分とまわりを分離して被害妄想の世界にどっぷりの、、、
人って、、、どんなです?

いいじゃないっすか〜〜〜〜笑
自由にしたらいいじゃないっすか〜〜

、、、でもね!
さらにつっこんじゃうと〜〜〜
その自分を見失って、文句をたれている人って、、、、どんなです?ってこれに関しては聞く以前に、、、
僕は「は〜〜〜?」って思ってしまう。
なぜか、このことだけは「いいね!」って言えない。笑

でね、文句を言うってのは、表に出しているのが言っているってことではないですからー
心に湧いた時点で言っているのと同じだと思うのです。

心に思ったことはもう既に創造されていると思うのです。
そしてそのイメージの位置に自分が動くか否か、、、さらにどう動くかで現象化するかどうかが決まると思っています。

だから、心で思っても言ってないから大丈夫って、、、、いえいえ、もう遅いっす!笑

そんでさらに言っちゃうと、心で思って表に出さないのは結構キツいっすね〜〜
言ってないからいいんだ〜って思ったり〜
心で思ってしまった〜〜ど〜しよ〜〜消さなくちゃ〜〜あ〜〜でも、どーしたらいいの〜〜人に言えないし〜〜〜
・・・みたいな。笑

そうやって自分のイメージを溜めに溜めていると、、、、澱んでくるし、重たくなるし、わけわからなくなってくるし〜〜

だから崩壊した時はもう大変ですな。

って、もうその大変さがチタマの表面で繰り広げれられていますよね。

今の子供達との関わり方だと、これが続くだけだ。
いえいえ、ず〜〜〜っと続いてくれるなら、それはそれでおもろいかも〜〜笑

みんな「このままじゃ、終わるんじゃね〜〜の〜〜」って思っている。
だから焦っている。

子供達も。

早く早く!ってなっている。
・・・なにを?

いくらスローな生活を〜って言ったって。
それを目指している時点でスローじゃなくなっている可能性も高いっすよ。笑

スローじゃないと思い込んで、焦ってスローにする。

意味がわからんですな。笑

そのスローってのも、なにを基準にしてるんでしょ。
多数大勢?
なに?
だれが決めたの?
自然のサイクルがスロー?
いやいや、だったらもっとシンプルな生き方になりますよ。笑

今の生活を維持しながら、スローになろーって思いが、まさに今までと一緒のような〜〜〜

足りないから、プラスする。
うん、たしかにプラスしたら重たくなるからスローになるかも?


僕は、子供達に自由に発想し、向き合い、それを創造し、共有し、全開で遊んでもらえたらな〜と思っている。
って、それは結局自分がそうしたいからなんですが〜〜笑

うん、大丈夫。
それに向かっているから。

自分だけじゃない。
みんな、そう思っている。

じゃあ・・・なんでそうなってないのか・・・

そりゃ〜〜
やってないからですよねーー笑

そうやってないから、そうならない。
当たり前のことですな。

じゃ、なにやってんだろ?

わかりません・・・・ね!笑!

今、ほとんどの人間が、平和ではないと認識している。
だから平和になりたいと願いながら進んでいる。
平和に向かって行っていると思って進んでいる。
でも、進んでいてもそれに到達できない今もある。

だからそれをあきらめている感もある。

せめて自分だけは、自分の家族だけは、自分の町、国、星、思い、、、だけは〜〜いいものにしたいってなってくる。

そしてそれに至る道は・・・・

うん、いろいろあるでしょうけど・・・・今のまわりを見たらわかることだ。
そして自分を掘り下げて行ったらわかることだ。

自分だけは・・・となってくると
それは閉じて、壁を作るやり方だ。
そしてそれを通過するには相当の決まりや制約が発生する状態にしている。
それだけ外部からの干渉を気にしているということだ。
怖がっているのだ。

自分が自分でなくなってしまうように思うからだ。

はい、その生き方に是非はないです。
ホント、全然!無い!
しかしご本人がそれに対して不平を言っているとしたら・・・・
それは話が違う。

だって本人が一番に是非を問うているからですな。

だったら本気で是非を見極めたらいいんだけど、それはしないのよね〜〜(これミイラの特徴〜!)

その選択の仕方がどんな今を生み出しているのか・・・答えは・・・・

はい!このとおりっすね。笑

みんなで作り出しているこの答え!

です。


でも、さらにミイラの特徴〜〜
自分がそれをしているって認識してない〜〜〜

ここがポイントっすね。

だから文句が出るんですね。

文句が出るってことは今に不満があるってことです。
そしてそれの原因を自分ではなく、何か別のものに転嫁している状態ですね。

だって今の不満が自分の選択の結果だと本気で受け取ったなら、その結果が出た原因を突き止め、自分でその選択の仕方を改めるはずですからね。

でも、僕らはま〜〜だほとんど変わってませんね。

何かが足りてない状態で発想し、動いています。

それは単純にその足りてない世界を作り出す、、、&そこにとどまることになる。

で、文句でる。笑・・・ってことです。


みんな、文句を言ったり、争ったりしたい訳じゃない。
焦って進みたいなんて思っていないはずだ。

でも正直、焦っているはずだ。

命ってことに関してもだ。

命に限りがあって、いずれなくなってしまうものなのだって心からそう思いたい人なんていないと思う。

でも仕方ない・・・とあきらめているのだ。

だからそれがかたちになるのだ。

大きな(大きいと思い込んでいる)流れに、流されるままに流れる。
しかし、それは意としない流れでもある。
しかし、それに対して何もできない。
する気が起きない。
そしてさらにオフにしていく。

その流れは自然の流れとは対極を示してくれる流れ。

でもそこにとどまれば、それに染まって、対極の流れ、、、他の流れを見失う。

対極を見失うということは自分さえも見失ってしまう。

それは自分がすべてを選択しているが、それが形になるのはその自分から発せられたエネルギーを受け止め、変化する自分でないものが必要なのだ。
だからそれを見失うということは自分もいなくなってしまうことにもなるのだ。

今は、その寂しさからの発想になっているのだ。
その世界にとどまりながらの発想はまさにその世界の中で起こりえること。
その領域でないと発生しないこと。

つまり逆を言えば、その世界でないところからの発想は、同じものを見ていたとしても発想されてくるものが違うはずなのだ。

今、文句を言っている我々にはそれが必要ではないでしょうか?

ぞうさんや動物達・・・・ま、人間以外はそれをスムースにやっている。(ん〜、それでも僕らのおかげでなかなかスムースってわけにもいかなくなっているかも?)

今こそ、自分達の位置をたしかめ、その場所が一番自分にとってばっちりな位置なのか、どうなのか、明らかにする時ではないか。

いや、明らかになって今進んでいます!って方々もいると思います。

しかし掘り下げてみると、なかなか厳しい今がある。

それは進んでいるけど、どう進んでいるのかがかなり不明だったり、進んでいるのは自分だけだったり。(ま、自分だけってのも思い込みなんですが〜〜)

つまり、その進み方の詳細は分離しながらの歩みです。
だからその道はつねに分離しているのです。あらゆるものが。
そして繋がろうとする道になります。
しかし分離していることを実践しているので、分離が創造されるだけだ。


僕は単純に子供達にその分離だけの世界を体験してほしくない。
分離だけじゃなくて、そうじゃない世界。
繋がっているとか、そうじゃないとか、そんなことで争ったり、焦ったりしない世界。

それに至る道も可能性が無限の領域。

そこで遊んでほしい。
僕も遊びたい!笑

そこで僕が最近感じて、話にもよく出てくるのが、、、、
僕らは「こーなってほしい」「こーなりたい」って思いがある。
しかしなっていないのは、そうしていないからだ。
それに向かっているつもりだが、逆に向かって行っている。

「こーなりたい」と思っている自分があるのであれば、「そうなっている自分」を今ここで体現しなければ、そうしようと命をかけなければ、そうなるわけがない。

今は「そーなるために」って別のことをしている。
「そーなっている自分」はどんな発想をするんだろうー
「そーなっている自分」がどこにいるんだろうー

そう考えたら、今の自分の有様はどんなものだろうー
たぶんとんでもないギャップがあるはずだ。

そのギャップのおかげで、起こっていることがまさか自分で起こしているとは気がつかない。
そのギャップのおかげで、起こることのタイミングに大きなズレが生じる。
だから、今ほしい!っていう「今」が「なんで今〜〜?!」って時に起こる。
自分達で創造したのに、あまりに離れているので忘れてしまっている。


そんな未来を作りたいのか・・・
そんなスタイルを子供達に提供したいのか・・・・

今回のインフルエンザの騒動でなるほどと感じる部分がたっくさんあった。

僕のおバカな角度で見させてもらうと、インフルエンザちゃんも僕ら人間に教えてくれているわけだ。
ちょっと動物さん達との距離が近すぎてませんか〜〜って。

僕ら人間は離れていることが怖いために、ありとあらゆるものと近づこうとする傾向があります。
さらに近づいておいて、距離がつまりすぎると相手をコントロールして離す。
あーだこーだ考えすぎなければ、そのちょうどいい距離もわかるはずなのだが、ミイラはその距離感がわからない。
だってほとんど毎日同じ距離感で生きているから、それ以外の距離感ってのもわからなくなってくる。
&その距離感を自覚している訳じゃないので、さらに意味がわからなくなってくる。

そういった角度からインフルエンザちゃんを見ると、、、たしかに恐怖にしか見えません。

うん、そうです。
その恐怖のところに僕らがいるので、そういった形での対話になるわけです。

でもそもそも新型ですよ。
僕らが作り出し、関係を創造した「新型」ですよ。
本気でそれと対話したら、何か発見があるんじゃないでしょうか?
って、結局自分からのメッセージになると思いますが、自分達が創造したものだって自覚していない僕らにとっては面白いメッセージを有しているように思えてなりません。


インフルエンザちゃんによって、子供達が、、、僕らが自分で決めることのできない生き物だと教えてもらったように思います。
そろそろまわりのたくさんの存在達との距離感をあなた方の気持ちの良いものにしたらいいかが?って言っているように思う。

「あなた方のイメージするパワーはこんな最新型のものを生み出すパワーを持っているんですよ。
だったらもっと好きなもの、、、みんながもともとイメージしたいものをしたらいいんじゃないですか?」

しかしそれをほとんどの人が避けている。
それはそのメッセージを避けると同じだ。

自分達が創造したものを無視していくスタイル。
うん、たしかに今ですな。

だから絶え間なくメッセージは来る。
自分達からの命をかけたメッセージ。

でも無視。
・・・・・なんじゃそりゃ〜〜笑

これミイラの特徴〜〜〜笑

僕の中のミイラがはっきりと答えてくれてます!笑
「そうそう、それそれ、ミイラよー」って。


子供達を種(ミイラ)のままにしておきたいくない。
そうは言っても自分達がミイラのままでは無理だ。
ミイラのまま、ものを言ったって全然、真実みがないし、明らかに言っていることとやっていることが違うから意味がわからない。

自分達が創造したいものを命をかけて、命を育みながら形にしていく方法を僕らは身につけていない。

そういう技が生かされる生き方をしていないからだ。

「どーしたらいいの〜〜〜?」「なにをしたらいいの〜〜?」
そんな時に必要なことは、、、それが見つからないことに対して不満をのべるよりも、、、、
自分で見たいものを創造することではないか。
そしてそれは不満をのべている「たった今」必要なのだ。

さらに分離だけの領域から発想されることではなく、、、、

自分が今までの不可能をすべて可能にできる存在だとして、、、、、なにを願うのか、、、、
何を形にするのか、、、、
その自分を今どれだけ体現できるのか、、、、そんな自分だったら、今なにを思うのか、、、、
なにをするのか、、、、

それが今、人間に必要なテーマではないか、、、と改めて感じた。

それが体現できている「今」に「どーしたらいいの〜〜?」は、ない。
「これこれをしてきま〜〜す!」ってなるだけだ。
うん、その時にはひとりって時もあるけど、「あ、わたしもそれをしようと思っていたのー」って人も必ず現れるはずだ。
だってもともと繋がっているってところから発想しているイメージなので、連動する人がいるはずなのだ。

だから今までは寂しいって見えていた風景も、いい距離感だな〜って感じられるはずだ。


僕らは明らかにしがみつきすぎているように思う。

しがみついているのにそれを認めない男。
しがみつかれているのことを仕方ないと受け止め、あきらめている女性。
しがみついていないと振り落とされると勘違いしている子供や、おじいちゃん、おばあちゃん。
しがみついていることがいいことだと信じようと無理をするみんな。

もし、しがみついていなくても全然大丈夫ですよ〜〜ってわかったら〜
それでもしがみついていますか?


そこがポイントになっている。


いったい何をみたいのか・・・・
いったい何を体感したいのか・・・・
必死にしがみついている自分で本当にわかりますか?
僕らそんなに自分のこと知ってます?

全部自分次第なのだ。

自分次第でまわりの流れも変わるのだ。

今回、加古川に行って改めて自分達の歩み方を見させられた。
未来からのメッセージ。
愉快な中からの優しいメッセージ。
でも厳しいメッセージ。
それも僕次第。
自分のいる位置によってまるで違う。

自分がスでいられる許されている領域。
そこからの発想と、そうじゃないところでの発想の差。

またまた、つじつまの合う面白い旅だった。
ゆっくり、まったり、気ままな歩みだった。

そして加古川のパートナーは僕の光側を活性化させてくれていて、そのおかげで自分自身のダークサイドを楽しみながら見つめることができている。
その両サイドを体験させてもらうことで僕は未だかつてない体験を楽しみながら育める。
そしてその領域からの目線ですべてを見て、感じる。

そこからは全部の自分を使ってチャレンジしたい!って自然に思える。

こんな僕を許可してくれる存在。

ありがとう。


そして僕の文章は相変わらず長かった。

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