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2008年9月25日 (木)

ダークサイドからアタシへの素敵なメッセージ

このところ、「大きな森のおばあちゃん」という天外伺朗さんが書いた絵本を題材にしたスライド紙芝居を上演する機会をいただくことが多くなっていた。

簡単にこの絵本の中身を紹介させていただきますー

絵本とはいえ、実際に起こった事をもとにしている内容だ。
龍村仁さんの「ガイアシンフォニー1」に登場している象のエレナのお話がもとになっている。

アフリカでは干ばつが起こる事があり、その影響で多くの動物たちの食料がなくなってしまいます。
動物達はまだわずかに残っている森や食料のある場所を探します。

そして象も、その群れの一番のおばあちゃんがその森への道を知っており、たくさんの仲間を率いて向かうのです。

でも、その群れの数はやばい感じー
このまま、あの森まで行ってしまったら森は食べ尽くされてしまう〜〜
って人間は考えるわけです。

でも、森がなくなるなんてことはなかったのです。

そのわけが絵本にかわいい挿絵と一緒に載っているわけなんです〜〜


そしてその答えとして一番明快なのが「命は繋がっている」「命は溶け合っている」ってことなのだ。

だから、森はなくならないのだ。


、、、、で、僕はそのスライド紙芝居の中に出てくる多数大勢の象さんの声をディジュルドゥでやさせてもらっている。


それで、その「命の繋がり」の内容を何回もやっていると、、、、しかもそのあと来てくれた人達とその内容での話などになってくると、、、、
リアルにそのことを考えないわけにはいかない。

そしてアタシのおバカも相まって、改めて今ある風景や、自分の立ち位置を見る、、、、。
そこでひとつ、なるほどと感じたことがあったのだ。

それは「命は決してとぎれない」と、わかったところからの「さみしさ」「かなしさ」「ふあん」「しんぱい」は、
とっても愛すべきものだということだったのだ。
(やはり逆に「繋がっていない」ところから見ると、とっても辛くなってくる)


何も決して離れていない世界から2極の世界を見ると、とっても愛おしい世界に感じるのだ。
不思議だ。
アタシだけのおバカな感覚なのかもしれないけど〜〜

自分のことで、ぐいっと掘り下げてみても明らかに「さみしさ」や「ふあん」から自分というものを見いだしているのだ。
その領域にいる自分に耐えられなくなり、もうその場所にはいられなくなって、新しい場所に自ら動いて移動する。
その動きの最初の思いは、、、、ん〜〜、、、むむ〜〜〜、、、、やっぱり100%に近い感じで、
「さみしさ」から発動している。

きょえ〜〜って感じはしますね〜〜正直。
でも、ホント正直なところなので、認めざるを得ないわけです。


そしてその動きはやっぱり「ダークサイド」との対話と和解であって、、、、
そしたら光と闇は戦いではなく、育みのサイクルに入って新しい、それぞれが本当に創造したかったものを生み出すことになるのだ。

つまり、ばっちりな状態を生み出すのに、どうしても欠かせないエッセンスになっているのだ。
「さみしさ」や「ふあん」が。
だからアタシのばやい、そのエッセンスを消そうとしたり、否定するとばっちりな結果さえもないってことになるのだ。

わお。


それは自分から動くことでわかる。

自分がパッって外(宇宙)にでて、そこから地球を見たら、、、、
あそこに、僕らが居て、でもあの丸い世界でなぜかみんな戦っていて、、、、
あれ?どして?

ってみんな思うはずだ。

外からみた地球に国境はない。
線は引いてない。
だから、みんなひとつの場所にいるって見たらわかる。

そしてさらに外から、、、違う領域から見たその星への思いは、、、悲しむより、ただただ愛おしいだけなのだ。
単純に「ひとつ」だってわかるから。
否定したい気持ちにならないのだ。

「さみしさ」や「ふあん」は今、どうしても避けられている。
アタシ自身も知らないうちにそうしている。

その「さみしさ」の自分と、怖がらずこころを開いて対話したらいいのだ。
だって、その「さみしさ」の反対の自分はいつも楽しい自分なのだから、そのこころで対話したらいいのだ。
でも、自分とは違うって思ってしまいこころを閉ざして対話している。

「楽しい自分」と「さみしい自分」は違う!って思おうとしている。

今、、、どうしても「たのしい自分」は怖がって本当にこころを開ききってない。
「さみしい自分」は対話をあきらめて被害妄想にはしってる。

おもしろいですな〜笑

「繋がっている」感覚と「繋がっていない」感覚が引き起こす現象。

しかもそれには我々人の意識がえっらく大きく!関わっている〜〜
なんなの?
その領域って。

その意識がかたち造られる領域ってなに〜〜?笑

僕らは自分のこころ次第で世界を自由自在に行き来できるのだ。
創造できるのだ。
そのテクノロジーとそれを育む「こころ」という世界があるのだ。
そしてボディという領域を創造し、その世界でなにかをかたち造ろうとしている。

なんで〜〜?

そんなのやってみないとわっかりませ〜〜ん!笑


命は決してとぎれない。
そこはすべてを優しく包み込み育む領域なのだ。
地球の中であるがままで生きている動物さんや昆虫さん、植物さん、鉱物さん、、、、まだまだたくさん、、、、
彼らは僕らよりもそのシンプルな世界にいる。
だから僕らのわからない領域でツウツウのやりとりをしている。
テレパシーで。
そして僕らの大きな集合意識の影響を受けながらも、それを全体で受け止め、育むことをあきらめていない。

その命をかけた有り様は、すべてを繋げるパワーがある。
決して止むことはないのだ。
現にそれをやってくれているのだ。

僕らが決めている、、、、「良い」も「悪い」もあっていい。
なくてもいい。

どっちだっていい。
好きにしたらいい。

だったら本当に好きなようにしたらいい。

新しい自分の好きなようにしたらいい。

僕はダークサイド側の人。
自分が、、、みんなが認めていない部分にフォーカスしている。

僕はそこから命の繋がりを見いだすやり方。

ダークサイドよありがとう!

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