ちをさくけん
今日、「著作権」の話を聞き、自分もその件に関して調整することになった。
うん(ち〜っと調べてみましたが、、、いわゆる権利ですよね)
たしかに、自分で作ったものは、自分が作ったものだ。それを主張するのは、、、まあいい。
しかしそれだけじゃない。
自分で作ったものは、自分のもの!っていうのがプラスされる。
僕は頭がイカレているので、著作権の意味がよくわからない。
、、、頭が壊れている人の意見なので、そのつもりで読んでいただきたい。
僕は著作権というものがある時点で新しい芸術や、新しい技術などが封じられていると思うのだ。
アーティストはその権利を守るための動きになってくるから、本来の自分が集中すべき、、、したいもの、、、に気が完全に向けられないはずなのだ。
たとえそれを人に任していたとしても、またその存在を守るやり方になってくる。
それは外に飛び出していく作用ではなく、内にこもるやり方だ。
別にそれでなにも間違っていないが、実際にその方法で困っていることになっているではないか。
やれ、権利が〜〜やれ、保証が〜〜って。
ま、そう書いている自分だって完全にまだイカレきってないので、まだ気になってしまう部分もある。
使っているMAC君が調子がおかしくなると、、、「おいおい保証期間内だよな〜〜、、、」なんて〜〜。
、、、と、まあ、そんなこんなで困っている事態になっていて、みんなそんなことを望んでいるわけじゃないですよね?
だったらやり方を変えないとだめっすよね?
そもそも「自分で作ったものが、自分のものだ」と主張するのは、自分以外のものを分離しているからだ。
最近、そのことしか書いていませんが、、、笑
分離から発生している発想なのだ。
守られていないと思って、守りにはいるやり方だ。
分離〜〜
いきなりわけわからんって感じかもしれませんが、、、、
僕なりにですが、順序立てて考えてもおかしいんです。
自分で作った!っていいますが、、、、それには自分だけじゃなくて、、、、
絵だったら、、、筆や、絵の具や、キャンバスだったり、それに絵にするもの、、、、
何かものを作るんだったら、、、木が必要かも、、、鉄が、、、工具が、、、、、
そしてそれぞれの道具や、素材にも果てしなく永い歴史を生きているものもいたり、、、、
さまざまなものと融合して、僕らが使えるものになって、そしてそれで僕らが作りたい物を作って、、、、そんで壊して、、、笑
そしてそれは見てくれる人達や、触ってくれる存在がいたり、何かまた別のものに役立てたりすることになったり。
あ!自分を産んでくれたお母さんとお父さん!、、、のお母さんとお父さん、、、の、、、、、、、って切りな〜い!
たとえば、、、この世に、、、
自分ただ一人で、、、、アートするだろうか?
アートはするとしても、、、楽しいだろうか?
何か対象があるから、それに対しての自分の感じたものが現れたものが自分のアートだったら楽しい。
僕にしてみたら、音を出して、そしてそれを感じてくれている存在を僕がまた感じて、それによってまた音が変化する。
つまりそれはみんなで作り出している音なのだ。
僕が出している音ではない。
だって、みんながいるから音出すわけだ。
だからみんなで出している音なのだ。
だから、それを「俺の音だー」っていうのは意味がわからないわけだ。
だからみんなで好きに使ったらいいと思う。
別に売っているCD載せていませんが、僕の作らさせてもらっている音に関しては自由に扱ってもらっていいと思っています。
(ふふ、、、経費、そしてこれから技を磨くために必要なエネルギーとしてまずは僕が、いくらかいただいちゃってますが〜〜)
その人がその音か何かを使って、儲けようが(儲かるかな?笑)、、、なにをしようが、、、。
そのものによっては無責任な〜って言われることでもあるが、僕はその責任というのも世間とは外れてしまっているのであんまり関係ない。
ネットで問題になっているソフトや〜〜
ん〜
年金のとか、、、保険とか、、、の問題とか〜〜
責任の話になってしまうのは、自分の今までの道を他に任してきて、そして今も任しているからだ。
自分の今までの道をすべて自分で決定し、自分の意思で歩んできたんだと自覚していれば、今起こっていることを誰の責任にもしないのだ。
よくよく考えてみてもそうなのだ。
厳しい言い方かもしれないが、掘り下げてみたらわかる。
全部自分で受け入れてきたのだ。
嫌だ!ってことも我慢してきたのだ。
了解していないもののはずなのに、納得したつもりになってた部分があるのだ。
だから、それのゆがみが極限に来ている状態になっている。
みんな感じていることだ。
、、、つまり、、、、ですね〜〜
どーなのよ!人の責任にしながら、、、誰かに、、、何かに、、、自分の夢を託しちゃって、、、、いいわけー?って言いたいわけですー
、、、、あ、自分に〜〜笑
みんなで、、、、今までのすべての要素が混じり合ったものを、みんなで何かの変化を加えて、また新しいものに変化させる。
本来アートは自分を主張するものではなくて、自然に発生するものだ。
それはどういうことかというと、「自分でーす」ってアピールするものではなくて、その場で生き生かされるものではないだろうか?
例えば、絵であれば、それを見た人が「あー、奇麗だな〜」とか「わおー、すごい衝撃的〜」とか、、いろいろあると思うが、
とにかく何か感じて、そしてその感じたことによって何かが循環して〜調整される〜とか。
何か造形物であれば、その場の調整はもちろんあると思うが、何か楽しい使い方があるとか。みんなが生きる使い方があるとか。
それは一人のアーティストが作ったかもしれないが、その人ひとりではできないアートなのだ。
みんながいるから、、、なにかが存在してくれているから自分はアートしたい!って思っているわけだから。
その思いから発生しているものは、、、みんなのもの〜〜
だから、そもそも誰のものとか、そういったことはないと思うのだ。
いやはや、、、、自分でも耳がいたいところですが、、、、よくよく考えてみたらそうじゃないだろうか?
これは自分のなんです!って主張するのは、やはりその人の中で発想の元が「分離している」ってところなのだ。
自分は自分ひとりだけ、、、自分以外は別、、、そう思っているから、知ってもらわないと怖いのだ。
そしてメジャーになりたい!っていう思いも、可能性がかなり狭い状態で自分を成立させようとしている。
今までにない!、、、自分だけの〜自分ならではの〜でメジャーになる場合もあるが、残念だが、それも頂点を目指さないとー!っていう
分離から発生している思いと行動だ。一番上じゃないと輝かないって思い込んでいる証拠だ。それがどうあれ。
その思いと行動は、、、、今の世界を見たら答えは出てますよね。
みんな楽しい今を望んでいるはずだ。
でもそうじゃない。
自分だけはそうだとしても、まわりがそうじゃない。
だからどこかで納得していない。
新しい方法やエッセンスを持っていたとしても、それが生きないやり方になっているのだ。
それをどうこう言いたくないが、困っている現実があるのなら、やり方を変えていかなくてはならない。
そしてそれをあきらめてはならない。
だから心を込めて、命をかけてやれることを自分で創造していく必要があるのだ。
そしてそれを現実にするためのエッセンスはすべてそろっているのだ。
ありとあらゆる存在がそもそも僕らを支えてくれているのだ。
僕らはそれを使いこなせるように、それらの存在とばっちりうまくコミュニケーションできるように自分の道を進むしかないのではないだろうか?
技を磨くべきではないだろうか?
自分の個性をよりまわりに生かせるように磨き上げるべきではないだろうか?
それは犠牲ではなく、すべてを受け止めた上での捧げなのだ。
芸術とは、今までにない自分の光をただただ表現しているひとつの様でないだろうか。
その芸術は何も破壊しないし、何も止めないし、隔たりを作らない。
ふふ
湧いてきたものの中身には、、、お金のことや、、、権利、、、やり方、、、、そんなもんはありませんからね〜
ただただシンプルなものです。
あるがまま生きていることが芸術なのではないかもしれません。
自分を守るための動きにつじつまが合わなくなってきているのを感じます。
アーティストは守るためにアートしているわけじゃないですからね〜〜
自分の可能性をどこまで広げるのか、、、、、
テーマになっていますな〜〜今。
それが著作権、、、いわゆる権利の話とも繋がっていると思うので、これからもチューニングしてみたいと思います〜
イカレた角度で〜〜
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