2009年6月 3日 (水)

なが〜〜〜〜い いつものたわごと

どうもです〜

みなさま、いかがお過ごしですか〜〜

僕は相変わらず、おバカに向かってつっぱしっている、、、んじゃなくて〜〜
気ままに進まさせていただいております〜〜

そこでやはりつじつまの合うことが多く(まあ、すべてにチューニングしているわけではないので100%とは言いきけませんが、ほぼ100%に近いと思います)。

そして僕自身に起こっていることのすべてが連動していて絶妙な位置関係や流れのタイミングで「今」が発生していて・・・
それは全部自分がイメージしたとおりになっていて・・・
でも、それには自分以外のすべての存在の協力があるからであって・・・
その位置からまた改めて「今」起こっていることを感じると、、、見ると、、、
なかなか面白いのです〜〜

先日、兵庫県の加古川という所に行って参りました。
そこにパートナーがいるからでっす。
つきのうち1週間くらい加古川で過ごさせてもらっています。

パートナーには二人のこどもがいます。

いつも、僕を気ままな感じで迎えてくれて本当にありがたい3人様です。

その大きな安心感によって僕は自分のスの姿でいることができます。
そしてそこからの景色でまわりを見回したわけです。

僕が加古川に行くタイミングでちょうどニュースで「新型インフルエンザ」の話が盛り上がっていてた。
そんで、加古川にいるタイミングで兵庫県で〜〜って話が発生〜〜

こりゃ〜
子供達、学校休みになるな〜
って思っていたら案の定、来週からお休み〜〜ってなった〜〜

先生達(子供達)は「ひまになる〜〜〜」って言って文句は良いながらもわくわくな感じだー

そんな感じではじまった朝、、、その日はもともとお休みの日だったからみんなでバトミントンに行こーってことになった。
が、施設に電話したら、、、、そういった公共の施設はお休みだって。
、、、ま、そうよね、学校がおやすみだからさ〜、、、ま、あたりまえではありますが、、、、
なんか「え〜〜〜」って感じでしたーー笑

ま、それでもまたそれぞれの動きになって、ひとりはフットサルに行ってくる〜って話になって出かけていくはずだったのだが、
子供はだめ〜って。
もちろんイエンフルエンザちゃんです。

ん〜〜〜

テレビでもその話題でもちきりです。

その夜はそんな不満をみんなでふっとばそうって意味もあったのか、ボーリングに行く事になりました。

靴も選んで、、、あとはボールを選ばなくちゃ〜〜あ、その前におトイレ〜〜ってなって
すっきりして受付けに戻ったら、パートナーがぷんぷんになってたー

子供達はだめなんだってさーーー!
だったら張り紙はるだとか、、さっさと言ってよー!
って。笑

みんなで、、、あれ〜〜ってなった。

結局その日は、家で過ごすことになったわけだが、いろいろと考えさせられた(・・・またです〜笑)

その日はやることが見つからない状態だった。
子供達は普段それぞれ問題なく過ごしていると思うが、僕がいる時は何かイレギュラーな設定を楽しもうとしてくれているわけだ。
だから、どこかに行こ〜ってことにもなるのだが、その「どこか」が機能しないと、、、
どーしていいのかわからなくなるのだ。

だから「おかーさん、どーする〜〜〜?」
「どーしたらいい〜〜〜?」
「なにするーーー?」ってこちら側に聞いてくるわけだ。

で、僕らは、じゃ〜〜ってことで、こんなんは〜?って提案する訳だが、、、、
大概は却下されますなー笑
ま、先生方、天の邪鬼なもので〜〜笑

はは
天の邪鬼なところは問題ではないのですが、やはりほとんどこちら側の選択に任せているってこと、、、
それとさらに細かく見ると、それを完全には受け入れていないってことが問題だと感じます。

あえて、このおバカから「問題」と発言させていただいているのは、現実問題彼らが、そして僕らがその選択の仕方で疲れているからです。

そしてその疲れは彼らも僕らが望んではいないってことです。
でもそれが起こっている、、、だからそれは「問題」、、、ですよね〜〜笑
ってなわけで、この「問題」をとりあげています〜〜

「どーする〜〜〜?」って言われるので、僕は「自分で決めたら?自分で好きなことをしたらいいよ、なんでもしたらいいじゃん」って言うとー
「そんなんわから〜〜ン」って言う。

かわいい

笑・・・・・は、いいとして、やはり「ん〜」って感じる部分もある。

これはほとんどすべての子供達に言えるのではないか、、、、
ある設定が設けられていないと自分のやることを見つけられないのだ。

そしてその設定に対して本当に了解しているわけではない。
その設定がなぜそうなっているのかをちゃんと説明されていないし、ほとんど問答無用な部分で成り立っている。

公共の施設の休止ー。
子供達はご遠慮くださいー。
外出もお控えくださいー。

子供達はその中にいる。
でも、その中で遊びなさいって言われてきたから、その中でしか遊べないと思っている。
でもそこは封じられている。
だから何をしていいのかわからない。
あたりまえだ。

ほとんどすべてを自分で決めてきていない。
正確には自分で選択してきているのだが、心から納得している訳ではない。
さらにそれさえもわからないくらいの封じられた中で、さらに限られた遊びにルールも設けられて提供されている。

自分で自分の特徴を見極めて、その時に自分が何をしたらばっちりなのかを見つけ、動き、創造するやり方を教えられてない。
だからできないのは、、、わからないのは当たり前だ。

それはなぜか、、、、、

は〜〜い
僕ら大人がそれをできていないからで〜〜〜す!!笑

って、笑い事じゃないんですが、笑ってしまうほど明らかで、あきれてしまう感じですな〜〜はは、、、、笑

これはいつも書いていることですが〜
ルールを設けるってことは、、、それが多いければ多いほど「自分達はブレブレで〜〜す」って言っているってことだ。

ブレブレ〜〜
いいんじゃないっすか〜〜笑
なにも悪くないっすよ〜〜

、、、、でもさ〜〜、そのブレブレの状態を「いえ!ブレてません!!!断じて!」って言っているかのいうに振る舞っている、、、、
人って、、、どんなです?
ブレていることを知られたくないから、引きこもって、心を開けないで自分とまわりを分離して被害妄想の世界にどっぷりの、、、
人って、、、どんなです?

いいじゃないっすか〜〜〜〜笑
自由にしたらいいじゃないっすか〜〜

、、、でもね!
さらにつっこんじゃうと〜〜〜
その自分を見失って、文句をたれている人って、、、、どんなです?ってこれに関しては聞く以前に、、、
僕は「は〜〜〜?」って思ってしまう。
なぜか、このことだけは「いいね!」って言えない。笑

でね、文句を言うってのは、表に出しているのが言っているってことではないですからー
心に湧いた時点で言っているのと同じだと思うのです。

心に思ったことはもう既に創造されていると思うのです。
そしてそのイメージの位置に自分が動くか否か、、、さらにどう動くかで現象化するかどうかが決まると思っています。

だから、心で思っても言ってないから大丈夫って、、、、いえいえ、もう遅いっす!笑

そんでさらに言っちゃうと、心で思って表に出さないのは結構キツいっすね〜〜
言ってないからいいんだ〜って思ったり〜
心で思ってしまった〜〜ど〜しよ〜〜消さなくちゃ〜〜あ〜〜でも、どーしたらいいの〜〜人に言えないし〜〜〜
・・・みたいな。笑

そうやって自分のイメージを溜めに溜めていると、、、、澱んでくるし、重たくなるし、わけわからなくなってくるし〜〜

だから崩壊した時はもう大変ですな。

って、もうその大変さがチタマの表面で繰り広げれられていますよね。

今の子供達との関わり方だと、これが続くだけだ。
いえいえ、ず〜〜〜っと続いてくれるなら、それはそれでおもろいかも〜〜笑

みんな「このままじゃ、終わるんじゃね〜〜の〜〜」って思っている。
だから焦っている。

子供達も。

早く早く!ってなっている。
・・・なにを?

いくらスローな生活を〜って言ったって。
それを目指している時点でスローじゃなくなっている可能性も高いっすよ。笑

スローじゃないと思い込んで、焦ってスローにする。

意味がわからんですな。笑

そのスローってのも、なにを基準にしてるんでしょ。
多数大勢?
なに?
だれが決めたの?
自然のサイクルがスロー?
いやいや、だったらもっとシンプルな生き方になりますよ。笑

今の生活を維持しながら、スローになろーって思いが、まさに今までと一緒のような〜〜〜

足りないから、プラスする。
うん、たしかにプラスしたら重たくなるからスローになるかも?


僕は、子供達に自由に発想し、向き合い、それを創造し、共有し、全開で遊んでもらえたらな〜と思っている。
って、それは結局自分がそうしたいからなんですが〜〜笑

うん、大丈夫。
それに向かっているから。

自分だけじゃない。
みんな、そう思っている。

じゃあ・・・なんでそうなってないのか・・・

そりゃ〜〜
やってないからですよねーー笑

そうやってないから、そうならない。
当たり前のことですな。

じゃ、なにやってんだろ?

わかりません・・・・ね!笑!

今、ほとんどの人間が、平和ではないと認識している。
だから平和になりたいと願いながら進んでいる。
平和に向かって行っていると思って進んでいる。
でも、進んでいてもそれに到達できない今もある。

だからそれをあきらめている感もある。

せめて自分だけは、自分の家族だけは、自分の町、国、星、思い、、、だけは〜〜いいものにしたいってなってくる。

そしてそれに至る道は・・・・

うん、いろいろあるでしょうけど・・・・今のまわりを見たらわかることだ。
そして自分を掘り下げて行ったらわかることだ。

自分だけは・・・となってくると
それは閉じて、壁を作るやり方だ。
そしてそれを通過するには相当の決まりや制約が発生する状態にしている。
それだけ外部からの干渉を気にしているということだ。
怖がっているのだ。

自分が自分でなくなってしまうように思うからだ。

はい、その生き方に是非はないです。
ホント、全然!無い!
しかしご本人がそれに対して不平を言っているとしたら・・・・
それは話が違う。

だって本人が一番に是非を問うているからですな。

だったら本気で是非を見極めたらいいんだけど、それはしないのよね〜〜(これミイラの特徴〜!)

その選択の仕方がどんな今を生み出しているのか・・・答えは・・・・

はい!このとおりっすね。笑

みんなで作り出しているこの答え!

です。


でも、さらにミイラの特徴〜〜
自分がそれをしているって認識してない〜〜〜

ここがポイントっすね。

だから文句が出るんですね。

文句が出るってことは今に不満があるってことです。
そしてそれの原因を自分ではなく、何か別のものに転嫁している状態ですね。

だって今の不満が自分の選択の結果だと本気で受け取ったなら、その結果が出た原因を突き止め、自分でその選択の仕方を改めるはずですからね。

でも、僕らはま〜〜だほとんど変わってませんね。

何かが足りてない状態で発想し、動いています。

それは単純にその足りてない世界を作り出す、、、&そこにとどまることになる。

で、文句でる。笑・・・ってことです。


みんな、文句を言ったり、争ったりしたい訳じゃない。
焦って進みたいなんて思っていないはずだ。

でも正直、焦っているはずだ。

命ってことに関してもだ。

命に限りがあって、いずれなくなってしまうものなのだって心からそう思いたい人なんていないと思う。

でも仕方ない・・・とあきらめているのだ。

だからそれがかたちになるのだ。

大きな(大きいと思い込んでいる)流れに、流されるままに流れる。
しかし、それは意としない流れでもある。
しかし、それに対して何もできない。
する気が起きない。
そしてさらにオフにしていく。

その流れは自然の流れとは対極を示してくれる流れ。

でもそこにとどまれば、それに染まって、対極の流れ、、、他の流れを見失う。

対極を見失うということは自分さえも見失ってしまう。

それは自分がすべてを選択しているが、それが形になるのはその自分から発せられたエネルギーを受け止め、変化する自分でないものが必要なのだ。
だからそれを見失うということは自分もいなくなってしまうことにもなるのだ。

今は、その寂しさからの発想になっているのだ。
その世界にとどまりながらの発想はまさにその世界の中で起こりえること。
その領域でないと発生しないこと。

つまり逆を言えば、その世界でないところからの発想は、同じものを見ていたとしても発想されてくるものが違うはずなのだ。

今、文句を言っている我々にはそれが必要ではないでしょうか?

ぞうさんや動物達・・・・ま、人間以外はそれをスムースにやっている。(ん〜、それでも僕らのおかげでなかなかスムースってわけにもいかなくなっているかも?)

今こそ、自分達の位置をたしかめ、その場所が一番自分にとってばっちりな位置なのか、どうなのか、明らかにする時ではないか。

いや、明らかになって今進んでいます!って方々もいると思います。

しかし掘り下げてみると、なかなか厳しい今がある。

それは進んでいるけど、どう進んでいるのかがかなり不明だったり、進んでいるのは自分だけだったり。(ま、自分だけってのも思い込みなんですが〜〜)

つまり、その進み方の詳細は分離しながらの歩みです。
だからその道はつねに分離しているのです。あらゆるものが。
そして繋がろうとする道になります。
しかし分離していることを実践しているので、分離が創造されるだけだ。


僕は単純に子供達にその分離だけの世界を体験してほしくない。
分離だけじゃなくて、そうじゃない世界。
繋がっているとか、そうじゃないとか、そんなことで争ったり、焦ったりしない世界。

それに至る道も可能性が無限の領域。

そこで遊んでほしい。
僕も遊びたい!笑

そこで僕が最近感じて、話にもよく出てくるのが、、、、
僕らは「こーなってほしい」「こーなりたい」って思いがある。
しかしなっていないのは、そうしていないからだ。
それに向かっているつもりだが、逆に向かって行っている。

「こーなりたい」と思っている自分があるのであれば、「そうなっている自分」を今ここで体現しなければ、そうしようと命をかけなければ、そうなるわけがない。

今は「そーなるために」って別のことをしている。
「そーなっている自分」はどんな発想をするんだろうー
「そーなっている自分」がどこにいるんだろうー

そう考えたら、今の自分の有様はどんなものだろうー
たぶんとんでもないギャップがあるはずだ。

そのギャップのおかげで、起こっていることがまさか自分で起こしているとは気がつかない。
そのギャップのおかげで、起こることのタイミングに大きなズレが生じる。
だから、今ほしい!っていう「今」が「なんで今〜〜?!」って時に起こる。
自分達で創造したのに、あまりに離れているので忘れてしまっている。


そんな未来を作りたいのか・・・
そんなスタイルを子供達に提供したいのか・・・・

今回のインフルエンザの騒動でなるほどと感じる部分がたっくさんあった。

僕のおバカな角度で見させてもらうと、インフルエンザちゃんも僕ら人間に教えてくれているわけだ。
ちょっと動物さん達との距離が近すぎてませんか〜〜って。

僕ら人間は離れていることが怖いために、ありとあらゆるものと近づこうとする傾向があります。
さらに近づいておいて、距離がつまりすぎると相手をコントロールして離す。
あーだこーだ考えすぎなければ、そのちょうどいい距離もわかるはずなのだが、ミイラはその距離感がわからない。
だってほとんど毎日同じ距離感で生きているから、それ以外の距離感ってのもわからなくなってくる。
&その距離感を自覚している訳じゃないので、さらに意味がわからなくなってくる。

そういった角度からインフルエンザちゃんを見ると、、、たしかに恐怖にしか見えません。

うん、そうです。
その恐怖のところに僕らがいるので、そういった形での対話になるわけです。

でもそもそも新型ですよ。
僕らが作り出し、関係を創造した「新型」ですよ。
本気でそれと対話したら、何か発見があるんじゃないでしょうか?
って、結局自分からのメッセージになると思いますが、自分達が創造したものだって自覚していない僕らにとっては面白いメッセージを有しているように思えてなりません。


インフルエンザちゃんによって、子供達が、、、僕らが自分で決めることのできない生き物だと教えてもらったように思います。
そろそろまわりのたくさんの存在達との距離感をあなた方の気持ちの良いものにしたらいいかが?って言っているように思う。

「あなた方のイメージするパワーはこんな最新型のものを生み出すパワーを持っているんですよ。
だったらもっと好きなもの、、、みんながもともとイメージしたいものをしたらいいんじゃないですか?」

しかしそれをほとんどの人が避けている。
それはそのメッセージを避けると同じだ。

自分達が創造したものを無視していくスタイル。
うん、たしかに今ですな。

だから絶え間なくメッセージは来る。
自分達からの命をかけたメッセージ。

でも無視。
・・・・・なんじゃそりゃ〜〜笑

これミイラの特徴〜〜〜笑

僕の中のミイラがはっきりと答えてくれてます!笑
「そうそう、それそれ、ミイラよー」って。


子供達を種(ミイラ)のままにしておきたいくない。
そうは言っても自分達がミイラのままでは無理だ。
ミイラのまま、ものを言ったって全然、真実みがないし、明らかに言っていることとやっていることが違うから意味がわからない。

自分達が創造したいものを命をかけて、命を育みながら形にしていく方法を僕らは身につけていない。

そういう技が生かされる生き方をしていないからだ。

「どーしたらいいの〜〜〜?」「なにをしたらいいの〜〜?」
そんな時に必要なことは、、、それが見つからないことに対して不満をのべるよりも、、、、
自分で見たいものを創造することではないか。
そしてそれは不満をのべている「たった今」必要なのだ。

さらに分離だけの領域から発想されることではなく、、、、

自分が今までの不可能をすべて可能にできる存在だとして、、、、、なにを願うのか、、、、
何を形にするのか、、、、
その自分を今どれだけ体現できるのか、、、、そんな自分だったら、今なにを思うのか、、、、
なにをするのか、、、、

それが今、人間に必要なテーマではないか、、、と改めて感じた。

それが体現できている「今」に「どーしたらいいの〜〜?」は、ない。
「これこれをしてきま〜〜す!」ってなるだけだ。
うん、その時にはひとりって時もあるけど、「あ、わたしもそれをしようと思っていたのー」って人も必ず現れるはずだ。
だってもともと繋がっているってところから発想しているイメージなので、連動する人がいるはずなのだ。

だから今までは寂しいって見えていた風景も、いい距離感だな〜って感じられるはずだ。


僕らは明らかにしがみつきすぎているように思う。

しがみついているのにそれを認めない男。
しがみつかれているのことを仕方ないと受け止め、あきらめている女性。
しがみついていないと振り落とされると勘違いしている子供や、おじいちゃん、おばあちゃん。
しがみついていることがいいことだと信じようと無理をするみんな。

もし、しがみついていなくても全然大丈夫ですよ〜〜ってわかったら〜
それでもしがみついていますか?


そこがポイントになっている。


いったい何をみたいのか・・・・
いったい何を体感したいのか・・・・
必死にしがみついている自分で本当にわかりますか?
僕らそんなに自分のこと知ってます?

全部自分次第なのだ。

自分次第でまわりの流れも変わるのだ。

今回、加古川に行って改めて自分達の歩み方を見させられた。
未来からのメッセージ。
愉快な中からの優しいメッセージ。
でも厳しいメッセージ。
それも僕次第。
自分のいる位置によってまるで違う。

自分がスでいられる許されている領域。
そこからの発想と、そうじゃないところでの発想の差。

またまた、つじつまの合う面白い旅だった。
ゆっくり、まったり、気ままな歩みだった。

そして加古川のパートナーは僕の光側を活性化させてくれていて、そのおかげで自分自身のダークサイドを楽しみながら見つめることができている。
その両サイドを体験させてもらうことで僕は未だかつてない体験を楽しみながら育める。
そしてその領域からの目線ですべてを見て、感じる。

そこからは全部の自分を使ってチャレンジしたい!って自然に思える。

こんな僕を許可してくれる存在。

ありがとう。


そして僕の文章は相変わらず長かった。

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2009年5月11日 (月)

新たな領域へ・・・

お久しぶりでございますー
みなさま、いかがお過ごしですか〜〜

いろいろと感じる日々だったのですが、あまりに動きが活発だったために書くタイミングがありませんでしたー

、、、とは言え、ほぼ毎日まったりとさせていただいております!
ありがたい!!

さて今回なんで書くに至ったか、、、、
それは音出しのお知らせで〜〜す!

6月12日の金曜日です〜
朝日新聞社 浜離宮朝日ホール 19時からです。

もう10年近いおつきあいさせていただいています、オペラ歌手の西村レイコウさんから連絡があったのです。
「あたしのオペラショーに出ない?」と。

僕はレイコウさんにはいろいろとお世話になっていて、オペラショーにも招待してくれたり、そしてパートナーのノボルさんが作る「みかん」「はちみつ」がホント大好き!で毎年年末になると楽しみになるのだ、、、って感じで10年近くおつきあいさせてもらっている。

まあ、ここでお二人のことは書きません。
もし二人のことが知りたい!という方は是非今回のイベントに来てくださいね!
とにかくお二人とも強力なオーラを感じます。
僕はそういったことはほとんどわからないたちですが、何か!を感じずにはいられないのです!

そしてこのイベントで僕は今までの領域から違う領域に行かさせれることになるのです、、、、、、、、、
、、、、、、、
、、、、、、、
、、、、、、、
やばいっす

今、書いているだけでも手が震えてきそうです。
緊張もあります。
しかし!それだけではないのです!
笑えてきてしまうのです!

あ〜〜〜〜〜!!
どーしよーーーー!!!
俺にできるのかーーーーー!!
笑わずに真顔でできるのか〜〜〜〜〜!!

う〜〜

だめなんです〜〜
考えると〜〜もう〜〜〜大変です!!

さすがのアタシもあたまを抱える感じです!!

あ〜〜〜
未だかつて無〜〜い!

きょえ〜〜〜〜〜!


あ、、、、すみません
取り乱しました、、、、、はーー、、、、


うう、、、

いやいや、、、みなさんの角度から見たら「そんなたいしたことないじゃん!」って言われてしまうかもしれないのですが、
僕にとってはもう!すごい状態なのです!

いやだから、なにをするんだ?って?

、、、、音出しなんですが、、、、衣装が、、、、、今までに〜〜、、、ない感じで〜〜〜〜、、、、、
デザインとかも〜〜〜
おお、、おおお、、、、お〜〜〜〜って感じで〜〜

レイコウさんのお家で衣装をあわせたのですが、僕が持ってきたものはあっさり却下でした〜〜笑

そして〜
最終的に決まったのが、、、、、

むむ、、、、すみません!
詳細はじっさいご覧ください!!
いやいや、ここまで書いて〜〜って感じでもありますが、書いたところで「そんな程度?」ってこともあるので〜〜笑


僕はこのイベントで今までの自分のままでは到底楽しめない領域に行く事になっています。
もう決まってます。
こ、これは、、、どういうことか、、、、、
すべて自分で決めているはずなんだけど、、、、決められている、、、、もうわけわかまつです、、、、

でもなんかおもろいのです。笑
レイコウさんのショーに正式に出演するのははじめてだし〜〜
そのイベントには僕のパートナーも僕の黒子で出てくれたり、、、
さらに僕が勝手にパートナーです!って決めちゃってる愛する人たちまで集まってくれたり〜〜(うれしい〜〜)

そして現れ方も面白いですのです。

最近、パートナーと「それぞれの技を生かす時だね〜」と話をしていて、そんな中でまわりの女性陣は自ら技を発動させているのです。
しかし今回僕の場合は違います。
明らかに出させられている状態です。
もう出さないと大変になってしまう〜って感じです〜〜笑

面白いと思いませんか?笑
やっぱりアタシはびびりマンですね〜〜
自分からは発動しないで、まわりの強力な女性陣に発動させられているのです。

さらなる技を使いなさい!って言われているようで〜〜〜笑

、、、、僕にとってはそんなイベントです。

みなさんもしよかったら、見てやってください。

アタシが「ま(魔)つ(釣)られる」姿を、、、、、!!笑


はは、、、、ダークサイドだってことが完全に明らかにされますな〜〜〜〜〜笑


チケットは1万円です!
レイコウさんをもち、素晴らしいアーティストの方々もたくさん登場してくれます!

見に行きたい!って方は、、、、、連絡くださいませ!
格安でチケットをおわたしできます!

お早めにどうぞ〜〜〜


イベントの詳細は僕のHPに載せてありますので、見てみてください〜

http://homepage1.nifty.com/wave-ring/wavering/news/2009/0612.html

です!


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2009年2月16日 (月)

音だし&今のアタシ

3月8日(日)に「ホロトロピック・ワールド2009」というイベントで音出しさせていただきます〜
場所は、東京の千代田区にある「星陵会館」というところです。

・「ホロトロピック・ネットワーク」http://www.holotropic-net.org/index.html
・「イベント情報」http://www.holotropic-net.org/event/syosai/090308.html

イベントのテーマは「人間の本質に迫る!」です!
ん〜、面白いですね〜〜
ガッツリ掘り下げちゃうイベントになったらいいな〜〜

僕も掘り下げる音にしようかな〜〜笑
今回は舞いの方も一緒です〜

楽しみ〜〜

最近ホント面白いことが起きている。

今までの目線から見るとほとんど見えませんが、自ら動いて移動して改めて見るとまったく違うものが見えてきます。
しかもその移動先が自分で行きたかったところから見たら余計です。

見え方が違うということは、見ている領域が違うということです。
自分の思ったとおりの位置に変わったことによって、自分の様々なセンサーもオンオフが自由になり、もう違う状態なのです。

それは湧いてくる思いも変わってくるということです。
そしてそれを形にするやり方も。

素直な気持ちを形に現すことの領域は、この今をほとんど占めている「領域」ではないようです。
そして、素直な気持ちの内容はあんまり関係ないようです。

どれだけその思いと動きに対して心を向けているのかがポイントのようです。
自分の全部を向けているのか否か。

そのあたりのことを意識して動くと、、、どうもおもろいことが起きるみたいです。

自分を確認し、自覚しながら同時に動いているので、結果、思いのままになるのです。

だからと言って、自分だけが「あーなりたい」とか「あーしたい」とかは、難しいみたいです。
はじめは形になりかけても、前提が分離なのでいずれ分離を生み出し、形に現れないようです。

思いのまま〜〜は分離の領域ではないようです。

思いのままというと「勝手」という言葉にも繋がりますが、僕はそうとは限らないと思うのです。
みんなの〜思いのまま〜には必ず「みんなも〜」って入っているはずなんです。
今、戦っている人たちもできれば戦わないで、争わないで、対話したいと思っているのではないでしょうか。
今のやり方しかない!って思っているから、そうしているだけじゃないんでしょうか。

もっと気持ちよく、スムースに、互いを尊重できて、みんなハッピーになる方法が目の前にあったらそれを選択したいはずです。

だから一番の根元には必ず「みんなでともに〜」という心があると思うのです。

僕はそれが「思いのままに」ではないかと思うのです。

だから一番根元に近い思いは簡単に形になるみたいです。
それは自分だけでやっているわけじゃないからです。
自分以外のずべての存在が居てくれるから自分が立って、形にできるのです。
つまり一番根元のところの思いはみんなも「そうそう!」ってところだから、自然とサポートが入るようなのです。

それが世間から認められているとか、ほとんど関係ないみたいです。
(だって、その世間が大変なボロボロ加減なわけですし〜笑)

だから起こってくることがおもしろ〜い!
(でも、今までのところからだけで見ると、、、、キョワ〜〜イ!ってなりますね〜これは〜)


僕は、とりあえず自ら実験させてもらっている状態です。
皆様のご協力とともに。

てめーの一番の思いはなんだ?
何を感じているんだ?
それを形にしようと命かけてんのか?
楽しく命かけてんのか?
え?どうなんだ〜?
って、気ままに自分と対話してます。

そこにはたっくさんの僕の大好きな人たちもいてくれている。
誰ひとりとして欠けてはいない。
だからみんなとも対話している。
今まで話さなかった領域とも。
過去と未来とも。
そしたら時が統合しちゃうみたいですね。
今って瞬間に。


そこからの景色は今までと全く違う。
自分の見たかった風景。
ただそこに位置すればいい。
そこへ歩いたらいい。
そこへ飛べばいい。
慌てないでいい。
自分の好きなペースで行けばいい。
自分のタイミングでやったらいい。
行き方に是非はない。
どんな道も無くてはならない道。
それを通ってきたのだから。
みんながともに歩んできた道だから。

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2008年12月 5日 (金)

ダークサイドから景色

まずはじめに、またまた長いっす。


最近、女性の方々から、あるひとつのテーマに基づいた話を聞く。
それは「なんだかそばにいる男が変になってるよ」って話だ。
おかしいくらい、みなさん話される内容が同じです〜〜

だから最近は「え〜〜」ってなるのを超えて、「ほほーまたきたね」ってなっています。

もすこし詳しく、、、、どう変になっているのかと申しますと、、、、
ちょっと病的な感じだっていうんです。

話を聞くと、さすがのアタシでもまともじゃねーな〜って感じるのです。

例えば、結構大きなイベント事を決めたかと思ったら次の日には無しにして、でも次の日には復活させて、また次の日には、、って。
一緒にいるパートナーはそれに振り回されて大変!
以前から、そんなふしはあったけど、それが異常な現れ方をしているって。

少し前に「こうだ!」って言っていたことと逆のことを平然と発してるとか。

明らかに本人とってもまわりにとってもヤバいだろ〜って行動をしてしまったり。


そして話をさせてもらったほとんどの女性が「以前はそうじゃなかった、、、、」っておっしゃってます。

だからパートナーの女性達は「どした?」ってなっているわけだ。
ある意味それを通り越してクレームが出ている状況でもある。


たしかに彼女達が勝手に「どした?」ってなっているだけで別に以前と変わることをあって当たり前だし、それの是非はそう簡単には問えない。

しか〜〜し!
彼女達が言っていることは、僕にとっては筋が通っている話なのだ!
なぜなら!!
その男が困っているからだーーーー!!笑

そうなんです。
困っているんです。
で、ここで共通点を一つ。
ご本人達、それをお認めになりません。(言葉だけ認めたってこと言ったって話にならんぜよー笑)


そんなんで、、、、前と違うよ!出会ったころのあなたがよかったわ〜ってことです。

彼女達はそれがあまりにひどい感じになってきているので、距離をはなした方がいいかもしれないと思っていたり、
これはいったいどういうことなのかと聞いてきてくれたりするわけです。


それでアタシはアタシなりの角度でその世界を見るわけです。

で、一発目に目に入るのが、、、、、、

ミイラです!!!
しかも大量!!(ふふ、、、自分も中にいたりして、、、笑)

いや〜〜
ミイラなんですよ〜〜〜(エジプトにあるミイラのタイプっす)

彼女達から聞く、その男の様子はまさにミイラなんですーーー

その男には素敵な夢があって、彼女はそんな夢を追いかけている男が好きになって、、、
その男は今もその夢に向かって進んでいるんだ!と生き込んでいる。
しかし、今の世間というくくりの中での自分の夢の実現が難しいと思い、別なことで妥協していく。
でも、それは「夢のためだ」と言って、自分が本来進みたい道からそれているのに、それをを認めない。
うん
それてもいいよね、、、、それてもかまわないのに、認めない。
自分の有様を認めてないから、どうしていいかがわからなくなってしまっている、、、、
彼女がそんな男を改めて見てみたら、、、、あれ、、、違うぞ、、、どしたのかな、この人?


その男はミイラのように同じ方向しか向けない。
だからいつも同じ景色(正確には包帯があるのでいつも闇です)。
包帯でぐるぐるまきになっているから、手も足も出せない。
もうあきちゃっているのに、、、、家族のためだとか、、、会社のためだとか、、、
世のためだとか、、、、も〜〜う!とにかく何かの理由をつけてやっている。
いえね、別にいいんですよ〜
なになにのためにーー!ってなって。全然いいです!すばらしいです!

しかし!!
だったら!
本当にその心でやってるなら、、、、文句は出ねーだろーよー
なんで不満が出るんだよ〜
それがあなたが命をかけてやりたいことなんでしょー

家族のことがあるから〜これはできね〜とか!
会社があるから〜〜とか、、、、


そしてその男を見て、彼女達は思う訳です。
結局自分の立場を守りたいだけでしょ!!って。ばればれー

その気持ちを素直に認めないで、外から、、、世間で認められている領域から「理由」を持ってきて自分が動けない理由、、道がそれている理由にする。
それが見え見えだから、余計に引くわけだ。

その部分のやり取りをしようと女性が近寄っても、男はその部分(寂しくて弱〜い部分)を隠し、否定し続けて歩んでいるので、
彼女が話をしても、超すれちがってしまうわけです。

男はその部分を掘り下げると、自分の今まで作り上げてきた自分の牙城?が無くなってしまうと思っているです。
盾がなくなってしまう〜〜って。
そしたら、怖いものが入ってきて、自分が対応できないかもしれな〜いって。
そんな弱々しい自分だってみんな知ったら、、、、今まで積み上げてきたものが無くなってしまったら、、、、大好きな人も、、、、みんな、自分から離れていってしまうかもしれないよ〜〜ってなっているのだ。

だっけど、その話の中の男はそれを認めない。
包帯の外から、外もいい場所あるよーって言っても「そんなのねえ!ここがいいんだ!」って言う。
だからいつもおんなじ景色、、、、だからイライラしちゃってる。
自分にはできない彼女の有様に嫉妬し、寂しさを甘えるエッセンスに変え、再び自分のテリトリーに引き戻そうとする。
でも、その手にはのらない彼女たちもいる。
だから、余計に寂しくなってしまって、、、、、わけのわからんことになる。
けど、その原因と解決方法が自分にあることを知らないし、認めない。


そのミイラは世間という流れにのって運ばれている。
自分の意思とは無関係に運ばれて行く。
自分がミイラだということを認めてないから、そのままずっと運ばれて行くだけ。

見えませんか、、、、

文句や不満をブツブツ言っているたっくさんのミイラが運ばれている映像がー

前にもミイラのことを書かせていただきましたが、「ミイラ」がわるいわけじゃないのです。

なぜならミイラは種だからです。
新しく生まれ変わるエッセンス、、、、プログラムさせている種なのです。

話してくれる女性たちが「ん〜」ってなっている部分は、そのミイラだということを認めていないところなのです。
素直になっていない彼に「どした?」ってなっているのです。

自分が種だということを知らなければ、種としての機能が果たせないのです。
なぜなら、種は起動するに必要なエッセンスを設定できるところでないと起動しないのです。
つまり条件が揃わないと種としての意味がなくなってしまうのです。

自分がミイラだと、、、種だと自覚し、チューニングをすると、もともと自然にある育みの流れによって、自分が起動する位置に設定されるのです。
しかし、自分はミイラじゃない!乾いているところなんかない!寂しくなんかないやい!
なんて言ってたら、そもそもの流れを否定して、その場にとどまっている感覚になるのだ。

つまり自分が積み上げてきた盾の外は、何があるかわからないから、あんまり動けないのだ。
自分が設定した空間でしか自分でいられない状態になっているのだ。

だから彼女が外から声をかけても、そんなところにはいるな!ってなってしまう。

そしてアタシの目線からですと、その女性も、、、同じところにいるのだ。ある意味。
その彼女達もその男とのかかわり合いのはじまりが、「寂しさ」の角度だったからだ。

冷静に見ますと、、、自分はいろいろ足りていないから、そのパートナーで埋める関わり方ですな。

今、その関係性だと楽しくなくなってきている女性が多いようだ。
つまり、ぐい!って接近しようとすると、男の方がびびってしまって、逃げ腰になっているので「つまんな〜い」ってなっている。


本来、彼女達は二人で、、、家族で、、、互いを尊重しながら、心から湧くことを形にしていきたいだけだ。
しかし男達は、、、それやっちゃうと、、、まわりが大変になるっていう理由で、形にすることをやめてしまう。


そして、その有様はその男は一番やりたいことじゃないので、どんどん体も心も変になってくる。
自分の言っていることとつじつまが合わないので、自分でも意味わかんな〜い。
なんで〜?って掘り下げようとしても、掘り下げて、それを実行にうつしたら全部なくなってしまう〜〜〜
だから仕方ない、、、我慢するか、、、

そうやって、どんどん自分の夢から離れて行く、、、、
一番やりたいことは、一番シンプルなこと。
それができないって、えらくストレスになりますよ。
自身も自信もなくしますよね。余計。

そんな自分に打ち勝たないと!ってなっているので、全部勝負の世界にもなっているのです。
一等じゃないとだめ〜って。

言葉では、みんな平等に〜〜なんて言っていますが、それを実行している人はほとんどいません。
だいたい平等の意味とあり方を明確に説明できる人なんていないと思いますよ。
もともとその世界にいるから、それをどうこういう必要もそんなにないと思うし、
みんなそれぞれ違うのだから、みんながみんな同じなんだ!って言えない世界もあると思うんです。


、、、、そんな自分とまわりとのギャップ。
さらには自分と自分のダークサイド(隠していた部分)とのギャップ。
それにびっくりして、どうもおかしな行動をしてしまっているような感じなのです。

だって、それの連続の結果はもうすでに出ているじゃないですかー
体が耐えられなくて、ぼろぼろになってこのチタマで機能できなくなっていくのです。
さらに自分の夢をえらくないがしろにしているせいで、本来オンになっていていいスイッチもオフになるのです。

だって、自分でそうやって決めてしまっているわけす。
時間が経つ=老いていく、、、、って。
そうやって思い続けているから、、、、そうなりますよねーー当たり前のことですねー


僕は思うのです。
本当にその彼のことを愛しているのなら、、、、
「このままでいいの?」って問いかけてほしいのです。

男はホント、ビビリマン&意地っ張り、、、、、たちわるーーー笑

だから、「あなたー道が間違っていますよ!」って言ってもだめー
「そんなことない!」って意地を張るだけ。

何かあるはずなのです、彼とのいい感じの関わり方が、それは大好きなその彼女だからこそわかることでもあって、
そのやり方は本当に様々あると思います。
自分の今のあり方を彼に明かし、その彼が今の自分と一緒に歩もうとしているのかを問う。

相手を改めようとしても無理なのことですし、改めるべきことじゃないと思うのです。

彼自身が彼の角度で好きに変えたらいいわけです。

でも!!
ここでミイラ!

このミイラ!(気がついてないミイラね)

そうやって、可能性が無限大の世界にいなかったために、なかなか包帯を破って、、、ほどいて、、、外にでることができないんです。
それが怖いのです。

だったらどうしたら気持ちを伝えられるの!ってことですが、、、、

それはもう自分が、、、彼女自身が動くしかないんですね。
だって同じ場所で、お互いミイラになって「あーだこーだ」言ってたって、最初の内は面白いかもしれないけど、すぐにあきてしまって、
結局、互いのミイラぶりを責め合って、バーン!ってぶつかって、はじき飛ばされて、またちょっとちがう場所に設定される〜みたな?

おはじきか!笑

だから彼女が今のままのミイラだということを認めて、外に出たい!って思ったタイミングで出るしかないです。
そして自分の思いのままに動き、見たい景色を見て、感じ、そこから湧き出てくる思いをまた形にしたらいいのではないでしょうか?

そうすることによって、その彼は「あ〜〜、大丈夫なんだ〜〜」なんてわかって、出てくるかもしれません。
それでも怖がって出てこないかもしれませんが、それはまだ出るタイミングではないのかもしれまんせんからねー笑
それも彼に任せる方がいいと思うのです。
だって!男でしょ!!てめーの力を発揮するタイミングくらい自分ではかれんだろーーー!ってね〜〜笑

僕らはもともと依存しあって生きているのですか、それを過ぎると問題になってきます。
彼との距離が近すぎると、ぶつかる確率も高くなりますね。
ま、ぶつかる対話のやり方もあるかと思いますが〜〜〜要はちょうどよい距離感があるってことですね。

そもそもすべてのものは流れているわけですか、おんなじところでとどまるには、自分が好きで!!ってことじゃないとつじつまがあってこないのだ。

つじつまを合わせることがメインじゃないが、そうなっている現実があり、それに対してみんな困っていたり、不安に感じて、、、
さらにそれを続けていきたいと思っていない。


えらく長く、彼と彼女とのことで書きましたが、これは今ある関係性にほとんど当てはまることじゃないでしょうか。

親と子供、、、、、
先生と生徒、、、、
上司と部下、、、、


最近は親子の関係でその様を目撃することも多いです。

もち、気づいてないミイラの役が親ね。
ミイラの外で遊んでいるのが子供達ですね。

僕ら見るともうすべてが逆転しているように見えます。
もうポールシフトは終わっているんじゃないかと思えてしかたありません。

子供達が親に気をつかっているのです。
子供が親が心地よくなるように、気をつかっているのです。
おいお〜い、逆だろーーー

もう僕は首をかしげすぎて、、、、逆立ち状態です!!

親は自分の自信のなさを子供達に当てはめて、子供達もそうなんだ!って決めつけて、自分のワクに入れておきます。
そうしないと自分も寂しいから。
それに対して子供達は本当に寛大に応えてますよ。
そうやって子供達もミイラになるしかないのかーってなって、ミイラの中に入って行くのです、、、、すげ。
もちろん、それに耐えられない子供達もいます。って、そんなのに耐える必要がありませんよねー
だから、バシン!って破って出て行く子供達がいるわけです。

しかしそれを大人達は分離と受け取り、その出た子供達を心配し、呼び戻し、それでも言う事を聞かないと、
駄目な子供って決めつける、、、、、さびしい〜〜

この前、大阪の知事さんが、「この世の中は不安だらけなんだから、それに対抗できる子供達、競争して勝つことのできる子供達を育てていかないとだめなんだー」って言ってましたー
思わず笑ってしまいました。

えーー、不安なこの世の中を続けて行くつもりなんだ〜、それを命をかけて、みんなで変えていきませんか!ってことじゃね〜のな〜
いやね、だからもういろいろやり方も逆なんですな。

子供達が安心して勉強や遊びや、やりたいことがなんだってできる世の中にするのがアタシ達の役目じゃないんですかー?
そういう世界を僕らが作り上げるんでしょうが〜〜笑

そしたら、子供達に何がわかるんだー!って言うと思いますが、じゃー子供達の何を知っているんだよーって質問したいですな。
たった今見たらわかるでしょうー
答えは出てます。
「いったいどうしたらいいの〜〜?」ってのが本音でしょ。
だったらみんなで考えましょうよー

おやじ達だけで話してんじゃなくてさ〜〜
子供達のいない場所で子供達のためにって話してんのねー
え?
誰のための話し合い?
自分の都合を優先させたい場?
なに?

新しいエッセンスをもった子供達を古い枠に無理矢理入れて、新しい部分を取り去るのはもう機能しない状態です。

僕ら大人も本当は新しいことにチャレンジしたいのです。
ただその方法を知らないのと、その勇気を持っていないということなのです。


っと、、、話がそれましたー笑


もうすでに逆になっているのに、今までの向きにこだわっていると、、、、
どこかにぶら下がっていないとだめですからね〜〜
大変ですよね〜

そのキツさが極まって、変になってきている人が多くなっているはずです。
世間で起こっていることが証明していると思いませんか?

みんな今までの「何か」の責任にしています。
でもその人たちもそれをやりにこのチタマにきているわけじゃないと思うのです。
もっと楽しいことをイメージしていたはずです。


最近の女性達との対話で、、、改めて、自分の中のミイラの部分、まわりのミイラの部分、、、、つじつまが合いました。

ダークサイドからの景色、、、、、
悪くないっすよ。


部屋の外は真っ暗でも大丈夫ですよ。
外に出てみてください。
そうやって、そとに出られたあなたはすでに光っているから、今ままで照らされていなかったものが浮き上がってきますよ。
それはあなたが本当は見たかった景色のはずですよ。
だってあなたの光でテラしているから、あなたの好きなようにアートできますよ。

外ではあなたの心のままの光を待っているのですよ。

今まで光をあてていなかったところにどうぞ遊びに来てください。

そこがもともとあなたの場所だってわかるはずですよ。
それに大丈夫、またいつでも部屋に帰ることもできるからね。


そこは闇と光が自由自在に変化し、コラボしている時間と空間。
すべてが完璧に機能しているところ。

あなたが自由にアートできる過去、未来、今なんですよ。

以上、ある意味かなり異常なアタシのたわごとでした〜

ちゃお

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2008年12月 3日 (水)

クリスマスとふんどし

12月17日に「チーム honoka」が主催してくれるクリスマスパーチーがあります〜

ぱーちーの詳細は
http://www.team-honoka.com/CL02_event/detail-34.html

そこで17時〜1時間半「ふんどし」の話をさせていただきますー

ふんどしとの対話(笑)がはじまってから、様々なふんどし物語を体験し、そして各地から報告を受けています。

それはやはり今までにない物語で、今までと同じ選択の仕方では到底進むことができない領域。

そしてそこでふんどしの「ゆるみ」と「しめ」の循環方法。
それによって、勇気がわき、新しい選択をするパワーを得ているようなのです。

そしてさらに!
そのパワーを循環させるために必要な要素、、、、

それは「対話」です。

そのかたちに是非はないはずです。

みんな違うのですから。

ふんどしで気持ちよくなって、そしてその自分で対話し、さらなる自分を知り、かたちにしていく。


今回で2回目になりますが、
また「チーム honoka」が、私Motoの世間からはずれちゃってる目線が、面白いと呼んでいただくことになりました。

実際にはずれているところから見る風景と、はずれていないところから見る風景はまるで違います。

はずれていると言っていますが、ようは自分の好きな位置ということです。
まわりのいろいろな決まりや情報によって、設定されている位置と、自分が本来位置したい場所が合っていない可能性があります。

自分の好きな場所で見る風景と、その気分、、、そしてそのうれしさや感動している自分から湧き出てくるものは、、、、
無理矢理設定しているところから湧き出てくるものとはまるで違うのです。

そろそろ自分の位置したいところに位置する時が来ていると思うのです。
それが僕らがこの「チタマ」に来ている理由であると僕は思うのです。
たとえ、そうじゃなくても、そうじゃないことを証明することもできない!
だったら自分で決めていいじゃんね〜〜笑

本当に自分がしたかったこと、したいこと、していきたいことをする時だと感じます。
それにチューニングすることで、自然に自分の技が磨かれていくのです。
それをしにきているから、どんどん上達するはずですしね〜〜

みんなうずうずしているのです。
本当にこのチタマと育むために。


対話を通して、それぞれの技を確認し、生かし、育んでいきませんか?

そんな、お話と、来てくれた方々とお話ができたらと思っておりますー!


もちろん、ふんどし話だけじゃなくて楽しいイベントが盛りだくさんですよん!


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2008年10月24日 (金)

イベントっす〜〜 麻や音の〜〜

いや〜〜
最近、麻さんがかなり取り上げられてますな〜〜

実りの秋だからでしょうかね〜〜

良いも悪いもない世界から見たら、麻さんのとの理屈を超えた対話であって、、、、
すなわちそれは、自分との対話になってくるわけで、、、、
しかもそれは、、、今までにない対話になってくるわけで〜〜〜〜でへへへ〜〜笑

おバカな角度から見ると〜〜
自分の中の否定している部分に「麻」を当てはめているだけでもあるのだ。
自分の許可していないものを「麻」に投影しているのだ。
そしてその角度で見ると、もちろんそのターゲットになっているものはたくさんある。

今、報道でいろいろなことが明るみになっている。
今まで見ていなかった部分や領域だ。
そしてそれは「いけないもの」だったのだ。

今、本当にありがたいこと&うれしいことに「麻っていいのよね〜〜」って声が多いー
ん〜〜
友人をはじめ、みんなのおかげだー

だってそれは理屈を超えて、許可される領域が増えているってことですからね〜〜

話がそれましたが、自分の許可していないもの、、、、
それは本当は「麻」ではないはずです。
そしてその許可していない理由を、明確に述べられる人はそうはいない。
その理由として、そのわけを掘り下げたら、問題は「麻」ではなく「自分の中」にあるとわかるからだ。

麻は鏡でもあるので、その自分のありのままの姿を映し出す。
しかも結構、多次元的に。
僕らが認識している鏡だけではない。
例えば、後ろを映し出すように工夫されていたり。
時間的な側面も、かなり影響した鏡となる。

事実、麻は太古から様々なかたちで僕らの前に存在してきているのだ。


ホント、勝手に僕らがイメージをつけて「あーだ、こーだ」と、いろいろ僕ら自身のテーマを乗せさせてもらっているわけです〜〜

うん
でも、それって素晴らしいことだと思うわけです。
どう捉える方で見方は変わります。

麻をどう使うか、、、もありだと思いますが、
これからは、麻とどう対話するのか、、、、
それがテーマだと思うのです。
いやね、、、もちろん「麻」はそんなこと気にしてないかもしれませんよ
もっと大きな心で僕らとそもそも対話してくれていると思います。
麻だけじゃなくて、ほんとさまざまな植物さんや鉱物さんが〜〜〜笑

んー
そしたらね、やっぱりアタシが麻だったらーーーー

今、報道されている内容を見て〜〜〜〜

「ん〜〜〜〜、まあ、いいよーー、、、好きに見てよーーー好きに言ったらいいさ〜〜〜好きに付き合ったら、いいよーーー」
「ま、同じ付き合うのでも、もうちっと違う付き合い方もあるけどねーー」
ってな、感じで少しあきれぎみ?笑

まあ、形はどうあれ、こうやって自分と別なものと対話できるのはホントに素晴らしいことです。
「麻」はその対話役を人類とほ〜〜〜んと永い間やってくれています〜〜〜
、、、たぶん、僕らが認識している歴史の範疇を超えた時間やってくれていると感じます。

その植物って、なに?って思えませんか?笑

なぜか、その植物は、僕ら体内に入ると、なんらかの意識の変化をあたえる。
そして、さらにその成分は今治療法が見つかっていない病に対して、回復、もしくは軽減させる要素をもっていて、
食べることもできて、身を包む衣類にもなり、家や車をほんとんどそれで作ることも可能だったり、いろんなものが作れたり、、、、
それを動かすエネルギーにもなり、
そしてそれはどれも容易く別なものに変化する柔軟性も持ち合わせていて、、、、、
それが育った場所は土地も超えたりして〜〜

それって、なんですか?って感じじゃないっすか〜?笑

でね、今書いただけじゃないと思うんですよー
まだまだたくさんある思うんです。
で、それも含めて考えてみるわけです。

上に書いたものは全部、僕らが関わっているんです。
そして、形にしているのは僕らなのです。
僕らの意識が「麻」をかたち作っているのです。
いろいろなものに変化させているのです。
それはすなわち、僕らが「麻」をどう受け取っているのかがポイントになっていることでもあります。
そして、その結果が今の形なのです。

麻をどう使うか、、、、
たしかに大切な角度です。
どう対話するかってことになりますからねー

でもさきほどと同じようにもし僕が麻だったら、、、、
「使うって〜〜〜、、、なんかもっと一緒に遊ぼうぜ〜とか〜そ〜ゆ〜のでいこよ〜〜」
って気分かしら?笑

単純にアタシの角度でも使われるって、、、、なんか腹立つ〜〜笑
だからって使わさせていただいて〜〜って言われても、、、、なんか遠い感じ〜〜〜?笑

じゃなくて〜〜
一緒にやりましょうよ!とか〜がいいよね〜〜


、、、僕らは正直、その感覚って少ないんじゃないだろうか。

ともにやっている。

それは植物だろうが、鉱物だろうが、昆虫だろうが、動物だろうが、幽霊だろうが、空気だろうが、地球だろうが、人間だろうが。
み〜〜んなでやっているのだ。
でも、その感覚は実際にはかなり薄い。

使われる感覚で、本当の自分を存分に発揮したいとおもうだろうか、、、、
残念だが、人はそこまで心の広さを感じていない。(だからこうなってま〜す)

使っている感覚はどこか自分と、それを切り離しているのだ。
その状態だとそれとの対話はスムースに〜というわけにはいかない。
しかし、そのものと共に一体となったときにはスムースになってくる。
何かの達人は必ず、そのともに対話するものに尊敬の心をもっている。
もちろんその形はさまざまだが、それはかたちに現れるものだ。


麻とどう対話して、麻と僕らがコラボして作りたいものってなんだろう〜?って、
今、いろいろな角度が明らかになっているのだろう。
今まで、どんなふうに接してきたのか、、、それをしっかりと見つめる必要性はあるとも思う。

人はその中から本来の自分のあるべき姿を見いだすのだから。

その鏡は、真実の自分を映し出す鏡。
その鏡との対話は本当の自分と話すことになる。


はは 笑
そんな堅苦しい話はいいとして〜〜〜
そんないろいろな角度をもっている「麻」のイベントがあります〜〜〜

先日、関西の方に行った時に大阪のアメリカ村で友人がやっているお店に遊び行きました。
その友人とは2002年に行われた麻の種から抽出した油で車を走らせる半年間の縦断イベントでともに旅をしたなかでしたー
で、その友人からイベントの知らせを聞いて、楽しそうな感じだったのでみなさんにもよかったら〜と思いアップしました〜〜

まず〜〜〜

長野県大町市美麻で開催されます「信州麻サミット2008」です〜
10月25日・26日ですー!って明日からだー
詳しくは
http://www.hemp-revo.net/shinshu/index.htm
をご覧下さいね〜〜


それと、11月1日(土)〜2日(日)は、新交通ゆりかもめ国際展示場下車TFTホール及びホワイエ(展示会場) でやります。
「オープン・ヘンプ・ギャザリング東京」です〜〜
http://grow-shop.jp/pdf/openhempgathering-tokyo.pdf

同時開催される
「JAPAN GROWERS&XXX SHOW 2008」
http://www.grow-shop.jp/event.html

も、麻のいろいろな角度の一つですね〜〜
このイベントは伝統や産業の部分とレゲエという文化も見られるおもしろいものになりそうですね〜〜


あと、12月7日(日)「麻ひらき」というイベントですー
場所は東京ですー
友人達の麻にまつわるパフォーマンスをお楽しみくださいませ〜〜

詳しくはこちらを見てねん!
http://www.p3.org/aas/081207/


あとですね〜〜〜
僕の愛する宮古島でも、音のイベントがあります〜〜
11月8・9日で「龍宮祭」〜〜〜
詳しくは
http://www2.miyako-ma.jp/ryugusai/
で〜す!


お祭りはいろいろなものが一緒だ〜って体感できるものですよね〜〜
それぞれの角度で〜〜

お近くにお立ち寄り、またはご興味ありましたら行ってみてくださいね〜〜
貴方なりの麻との対話がはじまってくれたら幸いです。

また、この日記で出てきてた「大麻」に関して何かご質問などありましたら、なんでも遠慮なく聞いてくださいね〜〜

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2008年9月25日 (木)

ダークサイドからアタシへの素敵なメッセージ

このところ、「大きな森のおばあちゃん」という天外伺朗さんが書いた絵本を題材にしたスライド紙芝居を上演する機会をいただくことが多くなっていた。

簡単にこの絵本の中身を紹介させていただきますー

絵本とはいえ、実際に起こった事をもとにしている内容だ。
龍村仁さんの「ガイアシンフォニー1」に登場している象のエレナのお話がもとになっている。

アフリカでは干ばつが起こる事があり、その影響で多くの動物たちの食料がなくなってしまいます。
動物達はまだわずかに残っている森や食料のある場所を探します。

そして象も、その群れの一番のおばあちゃんがその森への道を知っており、たくさんの仲間を率いて向かうのです。

でも、その群れの数はやばい感じー
このまま、あの森まで行ってしまったら森は食べ尽くされてしまう〜〜
って人間は考えるわけです。

でも、森がなくなるなんてことはなかったのです。

そのわけが絵本にかわいい挿絵と一緒に載っているわけなんです〜〜


そしてその答えとして一番明快なのが「命は繋がっている」「命は溶け合っている」ってことなのだ。

だから、森はなくならないのだ。


、、、、で、僕はそのスライド紙芝居の中に出てくる多数大勢の象さんの声をディジュルドゥでやさせてもらっている。


それで、その「命の繋がり」の内容を何回もやっていると、、、、しかもそのあと来てくれた人達とその内容での話などになってくると、、、、
リアルにそのことを考えないわけにはいかない。

そしてアタシのおバカも相まって、改めて今ある風景や、自分の立ち位置を見る、、、、。
そこでひとつ、なるほどと感じたことがあったのだ。

それは「命は決してとぎれない」と、わかったところからの「さみしさ」「かなしさ」「ふあん」「しんぱい」は、
とっても愛すべきものだということだったのだ。
(やはり逆に「繋がっていない」ところから見ると、とっても辛くなってくる)


何も決して離れていない世界から2極の世界を見ると、とっても愛おしい世界に感じるのだ。
不思議だ。
アタシだけのおバカな感覚なのかもしれないけど〜〜

自分のことで、ぐいっと掘り下げてみても明らかに「さみしさ」や「ふあん」から自分というものを見いだしているのだ。
その領域にいる自分に耐えられなくなり、もうその場所にはいられなくなって、新しい場所に自ら動いて移動する。
その動きの最初の思いは、、、、ん〜〜、、、むむ〜〜〜、、、、やっぱり100%に近い感じで、
「さみしさ」から発動している。

きょえ〜〜って感じはしますね〜〜正直。
でも、ホント正直なところなので、認めざるを得ないわけです。


そしてその動きはやっぱり「ダークサイド」との対話と和解であって、、、、
そしたら光と闇は戦いではなく、育みのサイクルに入って新しい、それぞれが本当に創造したかったものを生み出すことになるのだ。

つまり、ばっちりな状態を生み出すのに、どうしても欠かせないエッセンスになっているのだ。
「さみしさ」や「ふあん」が。
だからアタシのばやい、そのエッセンスを消そうとしたり、否定するとばっちりな結果さえもないってことになるのだ。

わお。


それは自分から動くことでわかる。

自分がパッって外(宇宙)にでて、そこから地球を見たら、、、、
あそこに、僕らが居て、でもあの丸い世界でなぜかみんな戦っていて、、、、
あれ?どして?

ってみんな思うはずだ。

外からみた地球に国境はない。
線は引いてない。
だから、みんなひとつの場所にいるって見たらわかる。

そしてさらに外から、、、違う領域から見たその星への思いは、、、悲しむより、ただただ愛おしいだけなのだ。
単純に「ひとつ」だってわかるから。
否定したい気持ちにならないのだ。

「さみしさ」や「ふあん」は今、どうしても避けられている。
アタシ自身も知らないうちにそうしている。

その「さみしさ」の自分と、怖がらずこころを開いて対話したらいいのだ。
だって、その「さみしさ」の反対の自分はいつも楽しい自分なのだから、そのこころで対話したらいいのだ。
でも、自分とは違うって思ってしまいこころを閉ざして対話している。

「楽しい自分」と「さみしい自分」は違う!って思おうとしている。

今、、、どうしても「たのしい自分」は怖がって本当にこころを開ききってない。
「さみしい自分」は対話をあきらめて被害妄想にはしってる。

おもしろいですな〜笑

「繋がっている」感覚と「繋がっていない」感覚が引き起こす現象。

しかもそれには我々人の意識がえっらく大きく!関わっている〜〜
なんなの?
その領域って。

その意識がかたち造られる領域ってなに〜〜?笑

僕らは自分のこころ次第で世界を自由自在に行き来できるのだ。
創造できるのだ。
そのテクノロジーとそれを育む「こころ」という世界があるのだ。
そしてボディという領域を創造し、その世界でなにかをかたち造ろうとしている。

なんで〜〜?

そんなのやってみないとわっかりませ〜〜ん!笑


命は決してとぎれない。
そこはすべてを優しく包み込み育む領域なのだ。
地球の中であるがままで生きている動物さんや昆虫さん、植物さん、鉱物さん、、、、まだまだたくさん、、、、
彼らは僕らよりもそのシンプルな世界にいる。
だから僕らのわからない領域でツウツウのやりとりをしている。
テレパシーで。
そして僕らの大きな集合意識の影響を受けながらも、それを全体で受け止め、育むことをあきらめていない。

その命をかけた有り様は、すべてを繋げるパワーがある。
決して止むことはないのだ。
現にそれをやってくれているのだ。

僕らが決めている、、、、「良い」も「悪い」もあっていい。
なくてもいい。

どっちだっていい。
好きにしたらいい。

だったら本当に好きなようにしたらいい。

新しい自分の好きなようにしたらいい。

僕はダークサイド側の人。
自分が、、、みんなが認めていない部分にフォーカスしている。

僕はそこから命の繋がりを見いだすやり方。

ダークサイドよありがとう!

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2008年7月12日 (土)

さびしがりやさん

僕はさびしがりやだ。

ひとりでいるのが好きなクセに、完全にひとりにはなりたくない。

だれかと、なにかと繋がっていたい。

思いや行動を共有できる存在がいないとさびしくなっちゃう。
さびしいといじけちゃうじゃないですか〜〜〜
素直じゃなくなっちゃうじゃないですか〜〜〜

僕は小さい頃、よ〜く母を困らせていたそうだ。
ちょっとでも母親が離れるとえらい騒ぎようで、その状態の僕の世話をしてくれていた叔母はかなり大変だったそうだ。笑

どこか新しいところに行くのも、何か怖がっていた。
何かと離れてしまうんじゃないかって。
自分では対応できないんじゃないかって。

そしてその思いは今もしっかりとある。

だから今、未知なる道をともに歩むパートナーは僕にとってはとても大切だ。
今までの選択のあり方をまざまざと見ることになるだろうし、そこから本当の自分のあり方を創造していくことになる。
そして選択の仕方を変化させてきているからだ。
自分のすきなように!笑

僕は、、、パートナーだけではなく、、、すべてのものと離れていたくない。
さびしがり屋さん(売ってませんよ、、、ン?、、、売ってんのかな?笑)だから。


だから、僕は、今この瞬間にどんな状況になろうとも、、、
まわりで何が起ころうとも、、、、
自分がとんでもない変化が起こったとしても、、、、

決して離れることはありえない、自分でいようと思う。


相手がどんなに僕を嫌いになったとしても、僕は大好き!!(順序だてて考えてみてもやっぱり好きなんですよねー)
相手がもし、ボディを離れたとしても、全然関係ない!僕の中で生きてくれてる!!
僕がボディを離れたとしても、全然関係ない!!みんなの中で勝手に!生きちゃう!!

世間では、それを「頭がイカれたおバカ」と呼ぶかもしれませんが、大正解!!、、、って、うっそ〜〜〜〜はずれ〜〜〜
、、、も、うっそ〜〜〜

なんでもいいよ〜〜〜


なにがあろうと、揺るがない自分がいれば、僕の勝手な思いは僕の中でかたちになるだけだ。

そしてその揺るがないために必要なものは、まさに自分なのだ。
みんなと離れていない自分だ。
全部と繋がっていて、自分でもあるのだ。
そこからの発想と動きだ。

すべては、今に詰まっている。
思いと動きは連動している。
どんな思いなのかで動きも大きく変わる。
動きによって、思いも大きく変わる。
全部連動している。
動く範囲、思いの範囲、可能性の範囲も全部連動している。

もともと、みんなと離れてなんかいない。
そこから見た景色をイメージし、そこに行かなくてはいけない。
自分で。
でもひとりではない。
みんなも一緒だ。
誰ひとり欠けない。
なにひとつ欠けない。
欠くことが意味わからん。笑


それが僕にとって、心の底からすべてを大好きになるために、、、、今一番やりたい方法のようなのだ。

そして、その領域は、上に書いた領域ではなくなっている。
今までにない領域。
みんなと共有している領域。

ふふふ
それは、、、、文字にあらわすことでないですね。
まさに体感し、体験するしかないのですから。

僕は本当にさびしがりやだ。
だから、どんなことがあっても、決して離れることのない生き方にしたい。


みんなー
がっつり繋がってくれていてありがとうっ!!!


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2008年6月23日 (月)

秩父で音出し〜

突然ですが、音出しのお知らせっす。

今週の土曜日28日に恒例、秩父の洞窟音出ししますー
イベントの詳細は下記のアドレスにありますー

http://mandalaya.com/cave.html


かなりダークな感じですが、結構おもしろいですよ〜〜

山を少し登るので、汚れたり多少濡れても大丈夫な格好がいいですね。
洞窟の中で座るためのシートや、中は結構寒いので、暖かくできるものがあったらばっちりですね。
懐中電灯も必要ですねー
しかも頭につけられるヤツがいいですねー

ま、とにかくそこで気ままに音を出します。
うまいとか、ヘタとか関係ないですー
みんな思いのままに出す!

ご興味ある方はサイトを見てみてくださいね〜

僕の方でもお問い合わせ受け付けてますー


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2008年6月16日 (月)

ちをさくけん

今日、「著作権」の話を聞き、自分もその件に関して調整することになった。

うん(ち〜っと調べてみましたが、、、いわゆる権利ですよね)
たしかに、自分で作ったものは、自分が作ったものだ。それを主張するのは、、、まあいい。
しかしそれだけじゃない。
自分で作ったものは、自分のもの!っていうのがプラスされる。

僕は頭がイカレているので、著作権の意味がよくわからない。
、、、頭が壊れている人の意見なので、そのつもりで読んでいただきたい。

僕は著作権というものがある時点で新しい芸術や、新しい技術などが封じられていると思うのだ。
アーティストはその権利を守るための動きになってくるから、本来の自分が集中すべき、、、したいもの、、、に気が完全に向けられないはずなのだ。
たとえそれを人に任していたとしても、またその存在を守るやり方になってくる。
それは外に飛び出していく作用ではなく、内にこもるやり方だ。
別にそれでなにも間違っていないが、実際にその方法で困っていることになっているではないか。
やれ、権利が〜〜やれ、保証が〜〜って。
ま、そう書いている自分だって完全にまだイカレきってないので、まだ気になってしまう部分もある。
使っているMAC君が調子がおかしくなると、、、「おいおい保証期間内だよな〜〜、、、」なんて〜〜。

、、、と、まあ、そんなこんなで困っている事態になっていて、みんなそんなことを望んでいるわけじゃないですよね?

だったらやり方を変えないとだめっすよね?

そもそも「自分で作ったものが、自分のものだ」と主張するのは、自分以外のものを分離しているからだ。
最近、そのことしか書いていませんが、、、笑
分離から発生している発想なのだ。
守られていないと思って、守りにはいるやり方だ。

分離〜〜
いきなりわけわからんって感じかもしれませんが、、、、
僕なりにですが、順序立てて考えてもおかしいんです。

自分で作った!っていいますが、、、、それには自分だけじゃなくて、、、、
絵だったら、、、筆や、絵の具や、キャンバスだったり、それに絵にするもの、、、、
何かものを作るんだったら、、、木が必要かも、、、鉄が、、、工具が、、、、、
そしてそれぞれの道具や、素材にも果てしなく永い歴史を生きているものもいたり、、、、
さまざまなものと融合して、僕らが使えるものになって、そしてそれで僕らが作りたい物を作って、、、、そんで壊して、、、笑
そしてそれは見てくれる人達や、触ってくれる存在がいたり、何かまた別のものに役立てたりすることになったり。
あ!自分を産んでくれたお母さんとお父さん!、、、のお母さんとお父さん、、、の、、、、、、、って切りな〜い!

たとえば、、、この世に、、、
自分ただ一人で、、、、アートするだろうか?
アートはするとしても、、、楽しいだろうか?
何か対象があるから、それに対しての自分の感じたものが現れたものが自分のアートだったら楽しい。
僕にしてみたら、音を出して、そしてそれを感じてくれている存在を僕がまた感じて、それによってまた音が変化する。

つまりそれはみんなで作り出している音なのだ。
僕が出している音ではない。
だって、みんながいるから音出すわけだ。
だからみんなで出している音なのだ。

だから、それを「俺の音だー」っていうのは意味がわからないわけだ。

だからみんなで好きに使ったらいいと思う。
別に売っているCD載せていませんが、僕の作らさせてもらっている音に関しては自由に扱ってもらっていいと思っています。
(ふふ、、、経費、そしてこれから技を磨くために必要なエネルギーとしてまずは僕が、いくらかいただいちゃってますが〜〜)
その人がその音か何かを使って、儲けようが(儲かるかな?笑)、、、なにをしようが、、、。

そのものによっては無責任な〜って言われることでもあるが、僕はその責任というのも世間とは外れてしまっているのであんまり関係ない。
ネットで問題になっているソフトや〜〜
ん〜
年金のとか、、、保険とか、、、の問題とか〜〜

責任の話になってしまうのは、自分の今までの道を他に任してきて、そして今も任しているからだ。
自分の今までの道をすべて自分で決定し、自分の意思で歩んできたんだと自覚していれば、今起こっていることを誰の責任にもしないのだ。
よくよく考えてみてもそうなのだ。
厳しい言い方かもしれないが、掘り下げてみたらわかる。
全部自分で受け入れてきたのだ。
嫌だ!ってことも我慢してきたのだ。
了解していないもののはずなのに、納得したつもりになってた部分があるのだ。
だから、それのゆがみが極限に来ている状態になっている。
みんな感じていることだ。

、、、つまり、、、、ですね〜〜
どーなのよ!人の責任にしながら、、、誰かに、、、何かに、、、自分の夢を託しちゃって、、、、いいわけー?って言いたいわけですー
、、、、あ、自分に〜〜笑


みんなで、、、、今までのすべての要素が混じり合ったものを、みんなで何かの変化を加えて、また新しいものに変化させる。
本来アートは自分を主張するものではなくて、自然に発生するものだ。
それはどういうことかというと、「自分でーす」ってアピールするものではなくて、その場で生き生かされるものではないだろうか?
例えば、絵であれば、それを見た人が「あー、奇麗だな〜」とか「わおー、すごい衝撃的〜」とか、、いろいろあると思うが、
とにかく何か感じて、そしてその感じたことによって何かが循環して〜調整される〜とか。
何か造形物であれば、その場の調整はもちろんあると思うが、何か楽しい使い方があるとか。みんなが生きる使い方があるとか。

それは一人のアーティストが作ったかもしれないが、その人ひとりではできないアートなのだ。
みんながいるから、、、なにかが存在してくれているから自分はアートしたい!って思っているわけだから。
その思いから発生しているものは、、、みんなのもの〜〜
だから、そもそも誰のものとか、そういったことはないと思うのだ。
いやはや、、、、自分でも耳がいたいところですが、、、、よくよく考えてみたらそうじゃないだろうか?

これは自分のなんです!って主張するのは、やはりその人の中で発想の元が「分離している」ってところなのだ。
自分は自分ひとりだけ、、、自分以外は別、、、そう思っているから、知ってもらわないと怖いのだ。
そしてメジャーになりたい!っていう思いも、可能性がかなり狭い状態で自分を成立させようとしている。
今までにない!、、、自分だけの〜自分ならではの〜でメジャーになる場合もあるが、残念だが、それも頂点を目指さないとー!っていう
分離から発生している思いと行動だ。一番上じゃないと輝かないって思い込んでいる証拠だ。それがどうあれ。
その思いと行動は、、、、今の世界を見たら答えは出てますよね。

みんな楽しい今を望んでいるはずだ。
でもそうじゃない。
自分だけはそうだとしても、まわりがそうじゃない。
だからどこかで納得していない。

新しい方法やエッセンスを持っていたとしても、それが生きないやり方になっているのだ。
それをどうこう言いたくないが、困っている現実があるのなら、やり方を変えていかなくてはならない。
そしてそれをあきらめてはならない。
だから心を込めて、命をかけてやれることを自分で創造していく必要があるのだ。
そしてそれを現実にするためのエッセンスはすべてそろっているのだ。
ありとあらゆる存在がそもそも僕らを支えてくれているのだ。
僕らはそれを使いこなせるように、それらの存在とばっちりうまくコミュニケーションできるように自分の道を進むしかないのではないだろうか?
技を磨くべきではないだろうか?
自分の個性をよりまわりに生かせるように磨き上げるべきではないだろうか?
それは犠牲ではなく、すべてを受け止めた上での捧げなのだ。


芸術とは、今までにない自分の光をただただ表現しているひとつの様でないだろうか。
その芸術は何も破壊しないし、何も止めないし、隔たりを作らない。

ふふ
湧いてきたものの中身には、、、お金のことや、、、権利、、、やり方、、、、そんなもんはありませんからね〜

ただただシンプルなものです。
あるがまま生きていることが芸術なのではないかもしれません。


自分を守るための動きにつじつまが合わなくなってきているのを感じます。
アーティストは守るためにアートしているわけじゃないですからね〜〜


自分の可能性をどこまで広げるのか、、、、、

テーマになっていますな〜〜今。
それが著作権、、、いわゆる権利の話とも繋がっていると思うので、これからもチューニングしてみたいと思います〜

イカレた角度で〜〜

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