2008年5月12日 (月)

電車の真実〜?

先日、友人がうちに遊びにきてくれた。
その友人は僕と同じ完全にダークサイド側の人です。
で、たまにダークサイド報告会を開いたりするわけです。

その日も絶妙なタイミングでたずねてくれた。

ここで僕が言うダークサイドとは何かをお伝えしておきますー
(これもまた今、スライド紙芝居「大きな森のおばあちゃん」に参加させてもらっているのですが、紙芝居の絵を書いてくれている女性からも質問してもらったので〜、、、最近、ホントこの角度を話す機会が増えてます〜おもしろ〜い)

ダークサイド、、、、
まさに暗闇ですかね〜〜
もち天使か悪魔かって言えば悪魔さんの方です。
ま、僕のダークサイドの捉え方に悪魔という存在はいないんですがね〜
天使と悪魔の役ができているのは、まさにそこで分離と戦いがあるからで、戦う角度がない場所からは
悪魔という角度も、よく絵で書かれるようなオゾマしい〜って感じのものに見えないわけです。
あの絵は戦うこでの恐れや、悲しみ、痛み、寂しさが合わさったものを現しているだけですからねー
その角度をどの位置で、どう見るかであの形には見えないんですね。

でもその角度、、、領域はあるわけです。
ダークサイド、、、、
タブーになっている部分ですよね。
見たくない部分。
消したい部分。
分離したい部分。

僕は、完全にそのダークサイドからの声を表に出す人ですね。
だから相手が見たくない!って言ったとしても僕が見せたいと感じたら見せちゃう。
なんで!そんなこと!って思われて、嫌われてしまうタイプですかね〜

だからなんでそんなことするの!って言われるかもしれませんが、、、、だって、、、
僕にしてみたら、それが聞きたいから、明らかにしたかったから、僕と話をしているんでしょ?って感じなんです。

ダークサイドを自覚している僕はやはりその角度を貫き、技を磨く必要があると思うわけです。
だって、その話をする場合、自分自身がそれをやっていなければ、意味がないですもんね。

タブーになっていること、、、
それをやっちゃうわけです。
だから世間(ここではほとんどの人が選択している道という意味です。)ってところから見たら、完全に非常識〜〜

でも〜〜
僕はやはりその角度が今は必要だと常々感じさせてもらうわけなんです。
だってみんな実は今のこの状況に素直に納得していないわけですから。
それの原因は僕からすると、ダークサイドを否定しているからなんです。
否定したい部分と戦っているからです。
だから戦争は終わらないのです。
自分の中で戦っているから、その自分を通している世界は戦いの世界なんです。
だから戦争をホントにやめたいと思ったら、自分との戦いをやめたら一瞬のうちになくなるわけです。

そして僕はその自分との戦いをやめるには、「すべてが許可されている世界で何がしたいのか」、、、、
つまり本当に好きなことをするってことですね。
世間が許していることの中から選ぶんじゃなくて、すべての可能性がある状態からの発想、、、やりたいこと。
それはまさに自分を最大限に許しているので、戦っていないのです。
そのやりたいことに向かって進んでいる実感があれば、実践していれば戦ってる場合ではないはずです。

そのやりたいこと、、、、
実は世間からほとんど外れている事じゃないですか?
もちろん世間の中にあるものもあるけど、それに関わる関わり方が違っていたりするはずだ。
でもやはりほとんどの人が選んでいる世間だけあって、なかなかそれからはずれることはない。
分離してしまうって思って怖いからですね。

ダークサイド側の人はそれをやってしまう。
あんまり考えたりすることなく、やっちゃう。
ダークサイドにしてみたら、それをやる以外に道がないと感じているわけです。
だからやる。
そしてダークサイド側の人は、実は戦うとか、、、平和とか、、、別にあんまり気にしない。
ただただ、素直でいたいだけです〜って感じなんです。
そして改めて考えたら、みんなが素直になったら、、、ホントに素直になったら戦争やめよーってなりませんかー?って思うわけです。

だからあんまり考えないおバカなダークサイドが、多少まわりをびっくりさせながらタブーをお知らせし、
もっと深いやりとりしよーぜーってなっているわけです。

かなり、、、熱く語ってしまいましたが、、、、
その同じダークサイドの友人と、しばらくあっていなかった間、どんな感じだったのか報告しあったわけです。
そしたら〜〜〜ほとんどおなんじでしたわ。
もちろん具体的に起こっている内容は違いますが、テーマやタイミングがほとんど一緒です。

と、まあ、そんなでやっぱりこのまま行かさせていただくしかないなと感じたわけです。

、、、、ここでやっと本題です。

その友人と話していて、電車の話になったんです。
なんで電車の話になったかは、ここで書くと果てしなく長くなるので書きませんね。
mixiにも前に「電車」というタイトルで電車についてかいているが、その時の思いや考えが変わる真実を聞かされた。

僕は満員電車がホントに苦手だ。
普段、あんなに知らない人とぴったり!することはないし、もしハグしたりするなら、声をかけたりするわけだ。
しかし、み〜んな無言!
えらい揺れていて、僕なんか「きゃ〜〜」って声でも出てしまいそうな状況にも関わらず!み〜んな無表情〜〜〜
その絵があまりにあり得なくて、笑いがこみ上げてくるんです。
そんな中で一人だけ笑ってたら、完全にあたまイカレてる人じゃないですかーー(ま、そうなんですが、、、)
だから、その笑いをこらえるのが大変だから、できれば乗りたくないわけです。満員電車に。

そんな角度から、満員電車に乗っている人達はみんな殻に閉じこもって、「無」でいるんだろーなーって思っていたんです。
だから、あの空間はやっぱりおかしい!って思ったんです。あんまりよくないんじゃないか!って。

でも、その友人が「いや、元君、違うのよ」というわけです。
「私は学生のころ、ホントにいろいろ大変な時でひとりでとっても寂しい思いをしていたの、、、、、
そんな時に毎日乗る、あの満員電車で触れ合う人のぬくもりでどれだけ救われたかわからないわ〜」って!!

「ぎょえーー!」って感じで、思わず正座しましたよ。
あの空間が!癒しの空間!!

普段、人と触れ合うことがほとんどない人だったら、あの空間は、、、なるほど、触れ合える。

ん?
ん〜〜!!
やべーーー
そういえば、俺もいやされているかも!!
だって!
嫌だとはいえ、乗る事になった満員電車でぴったりとくっついている隣の人が女性だったりしたら、、、、
「どうぞー、もっと寄り掛かっていいよ〜〜」「あ、あたたかいな〜」、、、だなんて、思っちゃったりして、こりゃ〜かなり癒されてるなーーー!

だとしたら、あの空間の中でかなりの人が実は癒されているんじゃないか!?って思ったんです。
意識していないかもしれませんが、あの空間でいろいろな感情のやりとりと、ストーリーが生み出されているのではないでしょうか?

僕の勝手な見解だが、あの状況が成立しているということは、やはり何か必要があって存在しているわけだ。
あの箱の中に、、、もう!無理!ってくらいに人をつめて、運ばれる、、、、、。
いや、、、正直、、、ばっちり!とは言えないが、、、、それを否定することもダークサイド側のアタシからすると道を外れているわけだ。
その視点から見ると、やはりあの空間があるのは、、、、みんな(自分も含めて)、、、寂しいからだ。
だから意識していようがいまいが、触れ合うことを求めて集まるのだ。
東京のような都市があるのは、その寂しさや分離を埋めるために存在している。

世間という側面から見たら、今かなりギリギリな状態だとおもう。
その中であの空間は、、、、だからこその、あの空間でもあるが、、、、、やはり必要な空間なのかも!

別の方法で、寂しさを埋めるのではなく、自らが動いてそれを選択しないっていうものもあるが、今ほとんどの人が、この今の世界を選択している
。しかも無意識に。
そしてその無意識の中に今とんでもないエッセンスが隠されているのだ。
それは個性だ。
そしてその個性は自分とは違うものとのコミュニケーションによって、現されて、真価を発揮し、進化していく。

その個性は世間というわくにははまらない。

今回、僕が見えていなかった満員電車の真実を確かめることによって、改めて今のこの世界が何を現しているのかがわかった。
そしてそれはやはり腹をわったコミュニケーションから生まれたものだった。
本心からやりとりは形や内容はどうあれ、新たな真実を導きだす。

いや〜〜〜
それにしても、、、、また満員電車に乗ったら、余計に笑いがこみ上げてきてしまいそうです。
だって、ポーカーフェイスの中身は、、、、実は超〜癒されてる〜なんて考えたら、かなりおもしろいっす!

また電車の新たな側面を知る事ができてよかった〜


笑いがこみ上げてきたら、、、、笑ってみようかなーーー

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2008年4月14日 (月)

ヤツの抵抗に、、、ありがとうー

今日の朝、ちょいと近くの実家へ届けるものがあって、外を歩いた。
ちょうど、保育園?幼稚園?に行くお母さんと大先生達(子供達です〜)とすれ違う時間帯だった。

僕の部屋の前の坂でも、一年生になったちっさい先生達が列をなして帰っている姿を見る。
なんか自然に、笑いに近い笑顔が出てしまいますなー
ちっさいのが、しかもたくさんのが、楽しそうに、坂をあがったり、おりたりして〜〜
かわいいな〜〜っていうより面白いな〜〜って感じです。笑

見るたびに「私も自由であり続けます!!」と誓いたくなるくらい楽しそうにしてます。
すばらしいですなー


しかし!!
今日はまたまた見てしまった。

ちょうど保育園?幼稚園?の近くに来たときだった。
「きゃ〜〜〜〜!きゃ〜〜〜!」って子供の泣き声(叫びにちかいっす)が聴こえてきたんです。

「おっ、またきたかー」って感じで、その方を見たんですな。
形としては、お母さんが、その叫んでいる子供を「活きカツオ」でもかかえる感じで抱きかかえて、園の方に歩いているわけです。
まあ、その形として推察できるのは、単純に子供が園に行きたくなくて、泣いているけどお母さんはかまわず連れて行っているってことですかね。
で、ホントにそうなわけです。

僕が行く方向も園の方なので、ちょうどその親子の横を通ることになっていた。

その子はやはり、かなりの抵抗を見せていてカツオのようにじたばたしているので履いていた長靴も片方脱げて落ちてしまっていた。
別のお母さんが「どしたの〜?」って感じで拾っていた。

泣きわめいている子に、お母さんもなんて言ってるかわからん感じで「きー!」ってなっていた。
しかし、その大先生は決してあきらめる気配はなかった。
まわりに他の親子がいても関係ない。
その気合いに僕はまた「グッドラック!!」と心で伝えさせてもらったのだ。

その時、その子がちゃんと言葉で訴えているのに気がついた。

「きょうはーおやすみにするーーー!!!おやすみにするのーーーーーー!!!」と言っていたのだ。

僕は「あ、あ〜〜〜!やすみたいんだーー!」
、、、いや、まあ、そうただ聴こえただけなので、そう受け取るしかないのだが、、、、、。

しかし!!
お母さんには通じていない!!
お母さんは「大丈夫だから!!ね!ね!」と言っている。

「お休みしたいーーー大丈夫だからねーーー」
おいおい、、、会話になってねーよ。
完全なすれ違いじゃんよー笑

思わず歩きながら、笑いそうになってしまいました。
それと同時になんだかへんな感じなのだ。

だって、ちゃんと双方言葉を発して、、、、そんなにも強烈に意思を伝えているのに、まったく!!すれ違っているーー
やべーーー

「お母さん、、、(僕と同じくらいの歳の人だと思います)、、、その子の訴えを聞いてあげられないんですか?」
「なんで行きたくないの?って」
「お母さんの事情を、、、気持ちをちゃんと話してあげていますか?」

僕も小さい頃、母親がちょっとでもいなくなると、泣いて泣いて大変だったと叔母に言われることがある。
だからその子もお母さんと離れるのが寂しいから、嫌がっているのかもしれない。
それにお母さんもその後お仕事があって忙しいのかもしれない。
だからどうしても、その場で離れないとだめなのかもしれない。

「寂しいのなら、一緒にいてあげたらいいじゃないですか」
「その子はお母さんとしっかりコミュニケーションをとりたいと思っているんじゃないんですか?」

その子と一緒にいるために働いているって言われるかもしれないが、、、、
そのスタート地点で、いきなり一緒にいないじゃないっすか、、、、

、、、ま、そんなこと言ったって、本当に僕が簡単に語る事なんかできないほどの事情もあるのだろう。
だから、僕はそのまま通り過ぎることになるわけだが、、、、、

やはりまた、考えさせられる。

親子なのに、なんであんなにすれ違っているんだろう?って。
親子とはいえ、それぞれ価値観が違うからもともとすれ違っていると言ったら、その通りだろう。
しかし、親子はその価値観の違いを一番尊重しやすい間柄ではないか?
でもそれが完全に封じられていた。

いやいや、、まだちっさいでしょーって言うかもしれないが、そこからして一緒のところに居ないことを白状している。
小さいから話しても無駄だと思っているなら、、、、困ったもんだ、、、
わかるわけないでしょ?って思っているのはこちら側だけだ。
子供達はちゃんとわかっている。
僕らが知っている言葉をまだ知らない、、僕らだけ!がわかるシステムでのコミュニケーションをまだ知らない、、、だけだ。

って、僕らだって、なにかそのひとつの事柄について知っているのか?と言われたら、かなり怪しいものだ。

そもそも違った目線から、発想して、動いているから、すれ違いすぎている状態もあたりまえなわけです。

しかし、それは本当に残念だ。


やはり何かの枠にはめた中での発想なのだ。
だから、お母さんは「園に行かないと!」ってなっている。
「よし!今日はおやすみだーー!」ってならない。

、、、なんで?
いろいろ理由があるからだ。

「でもその理由って、その子と心が離れるとしてもやるべきことなんですか?」


前にもこんな感じで書かせてもらったが、そんな光景の中のお母さんの顔はとてもじゃないけどイキイキしているとは言えない。
「もう!」って感じで、仕方なく、、、面倒くさそうにしている。

それがあまりに長く続くと、、、、その子に対しての気持ちが大きく変化することになる。

相手にしたくなくなって、、、、でも子供はこっちに来る。
しまいには、親の方がキレる。


おいおい親子でキレすぎじゃねーー?

そりゃ〜親子なので、喧嘩があったっていいと思う。
でも今世間で起きている喧嘩は、僕に言わせれば、かなり中途半端だ。
てめーの半分しか見せないで喧嘩している。
そんなんじゃー、いつまでたっても納得できないし、またいつか同じ喧嘩をすることになる。

喧嘩はコミュニケーションのひとつだ。

(最近、聞いた話だが、ある公園があって、そこはいろんな事が自由で、係の人が数人いる状態で火も扱えるところらしい。
そこでは子供達が喧嘩しているのをとめないそうだ。だたし物を持った戦いは係の人がとめるらしい。最初、その光景(喧嘩)を見ると大概の親は目が点になるそうだ。)


この中途半端は明らかに僕ら大人の生き方に関わっている。

大人達が真正面からコミュニケーションをすることを怖がっているのだ。
子供達はそんなこと関係ない世界にいるので、大人達はそれをできてしまう子供達にびっくりしてしまうわけだ。
そして、自分たちが見た事のない世界なので、自分たちが対応できるように修正するのだ。

そんなこんなで、だんだんと自分の本心を隠し、まわりに対応するための心を持つことに専念する。
ン〜〜
それってどうなの?
本当に子供達に伝えたい生き方なのか?生き様なのか?
それで本当にみんなが幸せだーってなっていればいいが、現実、そうなっていない。

今日の朝のあの大先生の抵抗で、改めてコミュニケーションの、、、全体でのコミュニケーションの大切を教えてもらった。
そして、全体でやりとりするためには、まさに自分の生き方そのものが、僕の心の全体から動かなくては意味がないと改めて感じた。


まさに全身を使い、全霊で訴えていたアイツのように。

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2008年4月13日 (日)

真実

それぞれの真実がある。

その真実から目をそむけたとしても、決してその真実は消えない。
目をそむけていることで、本当に見たいものさえも見えない。

目をそむけていると、それが癖になり、いずれ麻痺してくる。
自分が目をそむけていることさえも忘れてしまう。

しかし、真実はいつも自分のそばにいる。

そして
その真実とは、自分のあるがままの姿なのだ。

そこにすべての過去を生かす方法と、未来が存在しているのだ。

真実から目をそむけることは、その未来にふたをし、過去を亡き者にすることなのだ。

なぜ?
それをしようとするのか?

そこで、なにをしようと言うのか?
もう十分にやってきたことではないのか?

もうやめた方がいいと感じていることではないのか?


でも、やめられない。


いずれ、自分からやめることになるのに。

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2008年3月14日 (金)

うつろいゆく

すべては、流れて、姿をかえ、融合し、また流れていく。

その流れをとめては、変化は楽しめない。
その流れにしがみついていては、変化は恐怖でしかない。

しかし、すでに流れている。

でも、それを見ない事でもできる。

すべてから分離したらいいのだ。

だが分離した時にわかるのだろう。
自分がすでに、今も、安心の中にいることを。


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2008年1月20日 (日)

本心で生きること

真実を明らかにすることで、起こる現象がある。

自分にとって真実と感じていないものから真実だと実感するということは、
明らかに今までとは違う選択をしたのだ。
だから今まで体験したことのない領域に行くことになる。

はっきりいって、びっくりします。

(いやはや、たしかにこのびっくりがたっくさん集まったら時空間移動も冗談じゃなくなるようにも思えてしまいます。)

そしてそれはやり方を変化させたことで関係性も変化してくる。
自分が動くことになるので、見方、見え方が変わって今までと同じ関係性ではなくなる。

自分が変化したってことは、まわりも認識したり、影響したりすることになる。

つまりそれによって様々!なドラマが発生するわけだ。

もちろん今もドラマは繰り広げられているが、自分の役が変わればそのまわりも役が変わる可能性がある。

そして誰もがそのドラマを自分なりにいいものとして進めていきたいと思っているはずだ。
しかし、今どうなのだろうか?
正直なところ、、、、
今のドラマで本当に心から楽しく、生き生きと演じててもいい、演じることを超えた表現でもいい、、、、それをしているだろうか?

今ほとんどの人が(自分も含め)その自分の役を変えることを怖がっている。
それは前に書いたように見え方が変わって、今までの関係性を壊してしまうと思っているからだ。
つまり別れになってしまうと思っているのだ。

だから、何かを守ろうとする思いだ。
守ろうとする考えが間違っているのではない。
なぜ?守ろうとしているのかだ。

自分が守られていないと思っているから。
守ることが伝統だと思っているからだ。

たしかにその見方もある。
でも、今、、、たった今その見方で心から安心して、たった今死んだっていいさ!って思うくらい楽しいことをしているのか、、、
、、そこが重要ではないか、、、

だってみんな、後悔なんかしたくないし、悲しんだり、何かに怯えたりしたいわけじゃない。
みんなそれぞれの角度で楽しみたいだけだ。

何かを恐怖から守ろうとして壁を作り、自分も出られなくなってしまうのだ。
でもそこでは自分でいられるので、さらにそこで守りを固める。
、、、でそこでの新しいルールができて、それにまた従わないとだめになってくる。

その渦にずっと巻かれることになる。
でもそれも間違ってはいない。
断じて。

でも、自分の中ではどうなのかだ。
面と向かって自分と話したら、自分が本心から楽しんでいるのかどうかがわかる。

なにかを埋めるための楽しみは、楽しみではない。残念だけど。
でもそれは事実だ。

本当の目的を果たさないで、別のことをしていたら、、、そりゃストレス君からの連絡も来ますわな。

本当の目的、、、、
なんかおおげさな感じですが、そんなこともないと思いますよ。

実はみんなが普段したいことってそんなおおげさなことじゃないと思いますから。
「のんびり〜いい景色でもみたいな〜」とか「ちょいと誰かと話したいな〜」とか、、、
これからの望みとかじゃなく、今の望みって、実はそんな感じじゃないっすかあ〜?

そんなシンプルなこともできないから、それは疲れますよ〜
自信もなくすし、元気もでない。
そんな調子だからまわりから言われることに翻弄されてしまって、さらに自分をなくす、、、、。

すげ〜、、、


それは完全に自分の真実から目を背けている。
本当の自分と話をしていない。
だから半分の自分だけですべてをやろうとしてしまう。

疲れますって、、、


でも、、、いままでの関係や距離を変えるのは勇気がいる。
だって自分をなくしているところから見ているから、自分の選択に自信が持てないわけだ。

、、、、、でも、ずっとは続かない。
真実から目を背けることができない。
いずれ見ることになる。
それがいつかっていう話だ。

なんか最近えらく活性化しているみたい、、、、そのあたりのみんなのこころが、、、
すげ、、、、


真実は決して分離を生まない。
心は決して離れることはないのだ。

だって、考えてみてもわかる。
、、、本当のことを吐き出しちゃった、、、今まで表に出してないものを出した!、、、ってことはもうその時点で
その先のことをある意味考えてないよね。
だって、今までと明らかに違うやり方になったわけだから、起こってくることも違うわけです。
そんでそれはまったく未知のこと。
前と同じやり方なら、もうたっくさん体験してきてるからだいたい想像はついちゃってる。
でも本心でいったら、初体験!
なのに!出しちゃってるわけだから〜先のこと考えてないっしょ!
アタシの言い方だと完全にバカですよ!
すばらしいですな!

そんでそんな未知の体験を選択するなんて相当勇気があるってことだし、
本心から発言するっていうのが、いまいちタブーになってる今ではかなりアウトローですよね。

そんなことをしでかしちゃうわけですから、相当なパワーをお持ちですな。
(というか、みんな持っていると思いますが〜)

つまりそんなパワーの持ち主だったら、どんなことが起ころうとも全身全霊で向き合って、
結局自分の思い通りにしてしまうわけです。

たとえ、真実を告白して、愛する人が離れていってしまったとしても、
そんなことは関係ない!!
私とあの人は、距離が離れているからダメになるような絆じゃないぜ!!

、、、、手紙でも書こうかしら、、、、

ってね!

自分があきらめなければ、どんな手段だってアクセスできるわけです。
テレパシーだっていいわけです!

その相手との関係をあきらめた時点で関係はなくなるのです。

、、、、、でも、実はあきらめても関係はなくならないんですよね。
、、、、完全にあきらめた方が深くて軽い関係になるんですよね。


本当の自分でいれば、元気もでるから何が来たって平気さ!
どんな問題も精一杯向き合うしかないから、結局問題じゃなくなっちゃう!

そんなところからみた風景はそれまでとはまったく違う。

全部が繋がっていて、自分なんだってことも理屈ぬきでわかる。
みんなでやっているんだ!ってわかる。

真実は、その安心と繋がっているのだ。
そして本心とは変化だ。
今まで行ったことのないところ、、、、、

未だかつてない体験
それを本格的に体験することになってきた、、、みた〜〜〜〜い!!
きゃ〜〜〜

どうなるの?どうなるの?!

う〜〜〜〜
さらに頭がいかれてきた〜〜〜


ふふふ、、、、、、楽しみ〜〜〜!

やっとあけた感じがします。

あけましておめでとうございます!

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2007年12月16日 (日)

素敵な空間でしたー

昨日、先日お知らせさせてもらった「ギャラリー&クリスマスパーティー」のイベントがあった。

アタシも今の自分のテーマになっているものや、ふと浮かんできたものを絵や
CGで表現させてもらってなかなか楽しかった。

まあアタシの場合、表現といったら「音」だ。
表現しやすんでしょうねー

ふにゃ〜ら龍さんも自分の個展から駆けつけてくれて、音だしもばっちりでした。

みんながそれぞれの角度で表現できていたように思います。しかも勝手に〜笑
素敵っす。


その場には、、、、ん〜
ベイビーもいれて、5人くらいの子供たちが居てくれていたと思います。

もち、その子供たちにも参加してもらったわけだが、
やっぱり子供たちはすばらしいです。

あの表現のストレートさには目をみはります

ふにゃ〜ら龍さんの(でしたっけ?)ジャンベ(タイコ)が一つあったのと
アタシもドニパトロを持っていっていたので、それを裏返しにして、バチでたたくと結構いいんです。
子供達はかなりそれらを気にいってました。

タイコとドニパトロを、もうまわりの音、リズムはほとんど関係なくたたくわけです。
だからめちゃくちゃと言えば、そうとも言えます。

でも少しの周りからの調整、、、というか、こちら側が変わるっていいますか
変化を与えると、そのめちゃくちゃも変化していくわけです。
しかも、それは彼ら自身で決めて変化していくわけです。

それは知らず知らず彼の独特なリズムになって、彼はそれをまた自由に変化させていく。
まわりの存在達もその変化を嬉しく思い、応援する。
そしてどこかにその変化を自分にもあたはめたりする。

さらに彼は個性をガンガン発揮しながら、まわりとの共有の場を広げていく。

そんで、しまいには、みんなでそのタイコの振動に包まれていて、何か言葉にもできない感動がうまれている。

それは彼のパワーがすごいとか、特別だとか言っているのではない。
みんながすごいのだ。
みんながすばらしいのだ。
あの場はみんなで作っていたからだ。


あんなたたき方をしたら、タイコが可哀想だっていうタイコたたきも居るかもしれない。

しかしアタシはそうは思わなかった。
タイコはたたくものだ。
だから叩くことができなくなるような使い方は勧めなければいい。

子供たちもほとんど触ったことのないタイコだ。
ルールなんかほとんどないわけだ。
だから、すごい叩き方にもなる。
つまり壊れる可能性もあるってことになる。

でも彼らはそこを見ていない。
そこを恐れていないのだ。
壊れてしまうから、触らないっていう思いがほとんどない。

だから触っているうちに自分の限界も含めて、限界まで行きかけるわけだ。
でもなんでそれがいけないのか?
彼らには彼らの進み方がある。

、、、、話がずれましたか、、、、


昨日、あの場はとっても平和だった。
子供たちの自由を僕ら大人と呼ばれてる人が受け入れ、それを感動とともに感じることができた。
、、、、たとえアタシだけだどしても!
アタシにとっては平和そのものだ。

新しいエッセンスを喜びとともに迎える。

それは今回アタシが書いた絵にも出ているものだった。

それができる空間というのは、どういうことかと言ったら、
みんなが安心しているってことだ。
先のことを考えて、迷ったり、怖がったりしている空間じゃない。
今のその瞬間を単純に、、シンプルに感じ、、またシンプルに現している。

だからみんな笑顔。

これからどうしたらいいのかな〜?とか、、、、
こんなことしたらだめだよな〜〜とか、、、、
、、、、なんですか〜〜それ?って感じです。

そんなの関係ねえ!ってやってるじゃないっすか〜
しかもみんなで〜
なんかテレビで見たときありますよー笑
すごいっすね〜 あれ

ホント関係ねえ!ですもんね。
実はみんなそのはずですよ。
最終的には。
でもそれを認めてないですよね。世間一般という範囲は。(ふふ、、、でも究極的には認めてますけどね)

子供達はもともと、そんなことを改めて言う世界に本当はいないのです。
もともと関係してるんだから、関係してるとか、してないとか言ってることが意味わかんない世界でしょ
大人達は関係を求める世界ですからね〜
そりゃ〜双方で矛盾が起きているのもあたりまえだのクラッカーなわけです。

昨日のあの空間は、ごくごくシンプルな世界。
もちろん考える世界でもあるけど、よけいに考えすぎない世界。
だからちゃんと機能するし、進化も実感する。


僕はそんな瞬間もこれから体験していきたい。
何かを怖がるのではなく、その先に何があるのかワクワクする生き方。
それには、昨日の子供達のように実際にそうやって動くしかない!笑

心にある思いを形に現していく
それは自然に謙虚になり、感謝が生まれてくるのだ。

本当に素敵な空間でした。

、、、、、そしてこの空間のオーナーがなかなかいいです、、、
今回のイベントはそのオーナーのビルの2階でやったのだが、ちょっと前までは1階もギャラリーだったのだ。
で、今回アタシも錦糸町の駅をおりて、プラプラ歩きながら来たのだが、、、
「あれ?」っとなったのだ。何か風景が違うのだ。
よ〜く見たら、、、「あれーーギャラリーケロケロが補聴器屋さんになってるーー!」笑

実は最初の話では1・2階でやるつもりだったんだけど、途中で一階は使えない〜っていう情報がはいり、
じゃあ2階だけで〜ってなっていた。

「だからか〜〜」って思ったのと同時に「すばやいな〜」と感じたのだ。
こりゃほんとどマトリックスだな〜と思いました。笑
見たことあります?「マトリックス」
プログラムを変えることで、自由に世界を作り替えることができるわけです。

オーナーがマトリックスのプログラマー?なんて思いましたー

そして1階にはかわいいカエル君の置物があったのですが、それは今屋上にあると言ってましたー
よかった、、、って、、、

そしたら僕もカエルの宇宙船書いてましたー
そろそろあの屋上に降りてくるのかしら?笑


そんな空間を設定してくれたオーナー(かなりファンキーなファッションでした!)
そしてアタシをその場に設定してくれた、すばらしい友人達。

本当にありがとう!!
また遊びましょうー


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2007年11月27日 (火)

12月15日に個展&音だししますー

土曜日ですね。
錦糸町にある「ケロケロ」さんで4人展のかたちでやります。
その日の17時からぱーちーがあります。
いったいどんなぱーちーなのか!?

まったく読めません

で、その途中で音だしさせていただきます。
ディジュ・笛・口琴・タイコ・ドニパトロ・ホーミー・カリンバ・声、、、、など
時間やどんな感じのテンションなのかも予測不可能な感じです。
あといつもお世話になってるふにゃ〜らさんも笛や歌えやで一緒にやってくれます。
最初は二人でやるかと思いますが、後半は来てくださっている皆さんも一緒にやりたいですね。

詳しくは僕のHPに載せてありますので、ご興味ありましたらどうぞー
http://homepage1.nifty.com/wave-ring/

何か不明な点があったらお気軽にお問い合わせくださいー


では!


Moto

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2007年10月24日 (水)

ダークサイドからのメッセージ

なぜ、闇をみようとしないのか?
なぜ、光を求めるだけなのか?

なぜ自分の半分を否定するのか?

なぜ分離するのか?

光を求める時点で自分が闇だという告白をしている。

それを忘れているのか、見ないようにしているのか?

光がないと思っているから光を求める。

それでいい。

光の生まれた故郷を忘れている。

光が生まれてくる闇。

それを決定できる自分。

闇も光も自分。

どちらかを選択できるが、どちらも消せない。

消したらどちらもなくなる。

それもいい。

そのすべてのものに対応したいなら、闇と光の両方を認めることが必要だ。
そして動くことだ。

頭ではわかっているようでも、実際にそのように動かなくては意味がない。

でもそれもいい。
いずれは認めることになるのだから。


ダークサイドは寂しい気持ちだ。

寂しさの中に光の種がある。
それを「居ない!」と思い込んでいると、光の種が腐ってしまうよ。

まあ、それでもいい。

また生み出されるから。

それの繰り返し。


その中でどれだけ自分らしくいられたか。


もし自分というものがあればの話、、、、、ね!

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2007年10月 6日 (土)

心のままに

あ、いつものテーマですよね、アタシの。
(つい先日、自分のHP上に載せていた日記を改めて見る機会をいただいた。
 その時に思わず笑って!しまったのが、ほとんど同じことしか書いてな〜〜〜〜い!って。
 結局、俺は昔から何も変わってないわ〜〜〜昔からおバカだった訳だーーーー
 はーーーー!だからそのままでいいってことかーーーーー!ばっかだな〜〜〜
 出来事はそれぞれ違うのだが、テーマがほとんど一緒〜〜
 そのテーマの中で角度の違いや、チューニングしているところが違うだけだ。
 そして前のアタシはほとんどを変化を怖がる立場から見ていた(最近はどこでもありねって感じになってますが、、、、)
 その自分の流れの中で出会った人達、景色、考え、感覚、、、、たくさん。
 自分の流れはまわりと一体となって作り出されている。
 、、、、ん。
 まあ、つまりいつも同じことばかり書いてますな〜って話だけなんですー、、、、、、)

そしてなおも書く!

ーー続きーー
最近、心のままに〜っていうメッセージがホントに多い。
まあそれは自分がそのメッセージにチューニングしているからだけど〜

心のままに動くことは、なかなか興味深い。
だって今は大概、心のままに動いたら駄目だよってなってる。
素直に〜とか、正直に〜とか、、、よく耳では聞くけど、実際にやるとなるとかなり少ないと思われる。
でもこれは多くの人がやっていないということではない。
みんなもうすでにやっているのだ。
でもやっている速度や、量があまりに少なかったりしているということだと思う。
だから自分でもそれに気付かない状態になったり、認められなかったりする。
でもみんなやっている。

そして反対意見というのも実際にはある。
そんなに勝手にみんなが動いたらめちゃくちゃになってしまうじゃないか!っていう意見だ。
ン〜〜、でもそのめちゃくちゃというのも何がめちゃくちゃなのか、なぜ駄目なのか明確にすべての人を納得させるものはない。

しかも今、そこでみんなケンカしちゃってますからね。
で、まさにめちゃくちゃを体験しちゃっているところがすごいっすね。
自分のめちゃくちゃなところを認める量が少ないと否定している自分に疲れ、そしてその「めちゃくちゃ」を体験する。
普段から自分の「めちゃくちゃ」を認め、出してあげていると安心の中からの発想になり、自分にとっての出したいタイミング、
出す量などを気持ちよく調整できる。
つまりそれってめちゃくちゃになっていないと思うんですな。
ン〜〜〜〜〜
ンン〜〜〜〜〜
まあ、どっちでもいいよ〜〜〜って感じですな〜笑

さらに続いちゃいますが、、、、
めちゃくちゃ、、、、例えで言わせてもらえれば、最終段階の殺し合いの世界ではないだろうか。
アタシもそんなことはまったく望んでない。
って誰もそんなことを心から思っている人はいないと思う。(その部分は持っていたとしても)
でも今それが起きているわけだ。
上にも書いたもうめちゃくちゃになっている。
心の底でみんながわかっていること。
だれも望んでいない世界が現れてきているのだ。
なぜだろう?

アタシ自身はアタシなりにわかってはいる。
アタシもその部分を持っているタイプだ。
自分の半分の思いだ。
すべてを解放したい部分とすべてを閉ざしたいという部分。
今まではそれを認めてきていなかった。
言葉や思いではそれを認めようとしたり、認めていると思っていた。
でも実際にやるとやらないではわけが違う。
何が違うって、、、形が違うってことだ。
実際に動いてやっているので、周りや自分もどんどん変化する。
すげ〜〜
そしてなぜか心のままに動くと自分の思ったとおりになる場合が多い。
そんなこと思っていいの〜〜?ってことが現実に現れちゃったりしてびっくり!
「あ、いいんだ〜〜」ってなりますよ、単純に。

話を戻しますが、、、、
今もうすでに殺し合いの世界なのだ。
それは今も昔もそしてこれからもそうだと思う。
だって人はいつか、このボディを離れる。要するに死ぬわけですから。
じゃあなんで死ぬの?って言ったら、もちろん自分のあり方の結果だってことも言えるけど、
それと同時にまわりの動きがあったからとも言える。
それは人と人の関係が大きく関わっているわけだ。
つまり人は、ありとあらゆる存在から殺されているとも言える、、、、、はは、、、極端だけど〜
しかも生まれてからすぐ。
殺しがはじまっているわけですよ!!おいおい!
、、、、、笑

って、誰もそんなふうに考えたくないですよね〜〜!
みんなで生かし合っているって思いたいですよね〜〜単純に!
でも実際にはその反対の現象が起こっている。
それはまさにアタシで言えば、半分の部分とのコミュニケーションだ。
色んなやり方があると思う。
色々なタイミングがあると思う。

それを心のままにやったとき、、、、アタシは殺し合っているって感じるより
生かし合ってるな〜〜って感じるのだ。

どんな人もいずれその変化のタイミングがくるのだ。
どうせ来るなら自分のタイミングがいいとアタシは単純に思う訳です。
だから今それがテーマになっている。

そして自分なりにあみ出した?方法がある。
それは、たとえめちゃくちゃになったとしても、その時に心のままで居るという方法だ。
まわりがどんな状況であろうと自分で居るということだ。
そうしたら、アタシにはめちゃくちゃには感じてないってことにもなるし、
自分を取り戻すためのエネルギーを、全体を見回し、さらに自分が自由に動くために使えるのだ。

ふふ
でも、そのめちゃくちゃが、、、、その揺らぎが好きって人もいるんですよね〜〜
アタシだって、そんな時期があったりしますもん、、、、はは。笑
そしてその揺らぎがあるからこそ自分の本来の柱を改めて離れてみれたりするわけです。


心のままに
それは一番根元の思いを出すこと。
ずっと思い描いている心でも、、、、
ふと、浮かんできた心でも、、、、たとえ、それが今までの逆であろうと、それが素直な気持ち。
そしてそれを実際に動いて「おもて」に出していく。

アタシは最近、自分の逆の側面を体験した。
いや〜〜〜、久々に辛かったですな!!笑
もう顔なんか超深刻!!笑
似合わね〜〜〜!!

でもそれがあったことによって、自分が今まで溜めてしまっていた思いを出すことができて、、、、、
、、、、、ふふ、、、、すっきり!!!

あ〜〜、よかった!!

自分で何をすべきかわかっていたのに、それに自信が持てなくて、ちょっといじけてたりしちゃったわけです〜

、、、、、で、なぜ、、、それを逆から本来の自分に目を向けさせたのか、、、、、
自分の中だけでそれをやることもできるとは思うが、アタシは違うんですしょうね〜タイプが〜〜笑

目を向けさせたもの。
それはパートナーだ。
だって、その辛いと感じるのもそのパートナーのせいですもん!!笑、、、、、ってついつい言いたくなるくらい影響してますね。笑
でもそれも真実でもある。
そのパートナーの存在によってホント!!色々な思いが発生してくる!
きゃ〜って感じです。

もう行ったり来たり!!
そんで疲れて、バッタン!
いや〜〜、困りましたー、、、、、でも、どこかでこれはずっとは続かないって知っていたように感じていました。

そして本当にありがたいことにアタシは自分の思いをパートナーに告げることができた。
今まで「これは言っても仕方ないな〜」とか「相手が疲れちゃうかもな〜」とか
「今言ったら場違いかな〜」とか、、、、、
それは調整することが大変だって内容ではない。
軽い感じのはずだった、、、、
でもいつしか少しずつ溜まっていったようだ。
解消されていかなったのだ。

そんなで、気がついたら「わお!」ってことになっていたのだ。
パートナーのことで自分は勝手に大変になっている。
だからそれはそのパートナーとちゃんと向かい合わないと解消されないのだ。
というよりは!!解消したいとか、そんなのどうだっていい。
そこの部分を聞いてもらいたい!わかってもらいたい!、、、、、あ〜〜ただ色々なことを素直に話し合いたいだけなのだー
どんな思いも〜〜

パートナーには自分の逆の部分をあまり見せないようにしてしまう傾向がある。
それはパートナーに限ったわけでもないが、、、、、
なぜだろう?ホントは全部を認めてもらいたいのに。
それにいずれ出すことになるわけだし、、、、笑

まあそれは単純に分離しているところからはじまっているからなのだが、
そんなことを言っても、その自分がいるから、、、、じゃあどうする!?って話なわけだ。

、、、、、さらけだすしかないですよ〜〜笑
少なくともアタシは。
心のままにいかせていただくしかないですー
自分のありのままを!

だから今回、自分の中で不明確で自信のない思いや、溜めてきた思いも全部出させてもらった。
あー
よかった〜〜〜そして本当に嬉しい!
それを出したあとに残ったのは、、、、「良い」とか「悪い」とか、その世界ではなかった。
それぞれが、そもそも支え合っている世界。
それぞれが違うからこそ、支え合える世界。

アタシはそのことで、本当の自分のスタイルを改めて見つめることができた。
そしてまた嬉しかったのが、自分の半分の思いをさらに認めることができた。

それによって僕はまた動くことができる。
心のままに。

心のままにをありがとう。
心から。


、、、、、そんなおバカなアタシが参加しています、小さな音だしイベントはいかがですか〜〜〜笑

「まんだらや」さんでいつもやらせていただいている音出しです〜
http://mandalaya.com

http://mandalaya.com/ivent3.html
うまい下手は関係ない!!そんなのだれが決めるんだ!!笑

よかったら遊びにきてくださいね〜〜〜

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2007年9月 8日 (土)

あまりに理不尽だったんだろうな〜

先日、久々に外に出た。
まあほとんど毎日、ちょこっとは出てた。
でも電車とか乗ったり、ちょっと着替えたり&私用では久々だった。
だから少しうれしかった。
そして何か余裕のようなものも感じた。笑

まあ、それがどうしたの?ってことでもあるんですが、
とにかくまあ気分のいい感じで外に買い物に行ったわけです。

そしてその買い物の帰りに出会った光景があったんです。

それはタクシーから降りている最中のある親子の風景でした。
(あの、、、、そんなに真剣に読む内容でもないので、、、、お気楽に、、、)

人通りも結構多い町中。
絵としては、道の脇にとめてあるタクシーからすでに降りて歩道に立っている2、3歳の男の子。
そしてタクシーのトランクからベビーカーをおろしている30歳?くらいのお母さん。
お母さんは今時のおしゃれな感じでの奇麗な人でした。
セレブって感じかな?

そして男の子はお母さんがベビーカーをおろしている最中に
「キャー!キャー!!」って、なかなかのテンションで飛び跳ねて&タクシーを指さしながら叫んでいるんです。

僕はそれを左前に見ながら歩いているわけですが、
男の子の横顔を見た時に、何か楽しそうなのです。
だから安心しました。

しかし!

事態は急展開!その彼にとっては!!

彼がかなりのテンションになっている時にお母さんは素早くおろした
ベビーカーをトランスフォームさせ「はいは〜い、もう行こうね〜〜」って言いながら、
彼を持ち上げベビーカーに乗せようとしたのだ。

その時、彼は声を変え、「ノー!!」って言っているかのように叫んだ。
しかしお母さんはそんなことは関係ない!
そして彼は、、、(まあほとんどの確率で)、、、無理矢理、ベビーカーに乗せられたのだ!


いえ、アタシもそんな光景はたくさん見ていたので、
軽い感じで「まあ、仕方ないよな〜〜、勘弁してあげてな〜」って彼にエールを送っていた。

でもすぐあとに、「えー」って思ったのだ。
その彼の抵抗が「なかなかのもの」だったのだ。
とにかくベビーカーに乗りたくないのか(たぶんそれ以外にないと思いますが。笑)、
身体をよじらせてベビーカーからずれ落ちようとしていました。
まあその光景自体もよく目にするのだが、
その彼の声が「なかなかのもの」だったのだ。
とにかく尋常じゃない感じの響きなのだ。
すでに書いているが、「叫んでいる」のだ。
それも何か意味のある言葉じゃないから、なおすごいです。
しかも結構太い感じの声です。

あまりの響きに歩きながら彼の方を見ながら歩いていました。
ホント、結構遠くでも聴こえてました。

あ、、、おさまった、、、って思っても、「ぎゃー」っていきなり聴こえてきたりしてました。

アタシはその響きを聞きながら、、、、ふと思ったのです。

「あいつにとってあまりに理不尽だったんだな〜」って。

そしてさらに「はっ」って考えてみたんです。

もしですよ
アタシ自身が、えっらく興味を持っているものが目の前にあって
それを本当に大興奮!で見ていた、、、、なのに!
いきなりヒョイって持ち上げられて、全然別の場所につれていかれそうになったらどうだろう?

アタシは彼と同じですな。
アタシなりのかなりの抵抗を見せるはずです。
完全にキレる可能性だってありますよー
だってそんなのが実際に起こったらマジでビビリますもん。

でも〜
大興奮で見ているさなかでもね、ポンポンと優しく肩をたたかれて「すみませんが、ちょっとお話があるんですが〜」
って、ことなら「ほ〜、なんの話ですか〜」ってことになるじゃないっすかー
そこから新たなコミュニケーションが生まれるっつうものんですよ〜

でも何の了解もなしにはちょっと待てい!って話になるわけです。

ん〜〜
彼の抵抗もたしかにわかる!
あれではあまりに理不尽だ!
アタシだったら同じことをした!

、、、、、って歩きながら、彼の雄志を讃えたい気分になった。

そんでさらに思うわけです。

アタシはそんな光景をたっくさん見てます。
って、アタシが!してる時ありますからね〜!
自分の子供ではありませんが、アタシが勝手に自分の子と思っている子供達!(笑)に対してですね。
もちろんアタシ自身はそれをしたいわけじゃないのです。
でも、なんだか疲れている時はそんなんなってしまうわけです。

でもそう考えると相当子供達に対して理不尽なことしてきたってことか〜

子供に大人の話がわかるわけないって言う人もいるかもしれないが、、、、たしかにそうだ!!
わかるわけない。
本当にわかってもらおうと思っていない場合が多いと思うし、
そもそもわかりっこないってところから話をしていたらわかるはずがないわけだ。

そして実はわかる、わからないの問題ではない。

そこに双方にとってよりよいコミュニケーションがあるかないかだ。

「じゃあ、そこで真剣に話し合ったらわかってもらえるのー?」って声も聴こえるが、、、、
それは知りません!
いやでも、わかってもらえると思う。
意味はわからなくても心でわかると思う。
たとえ言葉がわからない彼らだって、自分がいやだってこと、好きだってことはわかっているのだから。

単に言葉ではないものでのやり方なだけだ。

それにまず、そこで彼の意見を聞くってこともありではないだろうか。
彼は明らかにタクシーがすきなようだ。
指をさして飛び跳ねていたので、おそらくは再び乗りたいのであろう。

だから、もうひとつの案としては、、、、
もうそこでもう一度乗っちゃう。
そして彼の納得するまで乗る!
あのおしゃれなお母さんなら、お金はたぶん、、、大丈夫!!

例えば、彼がたっぷりタクシーを堪能して安らかにおやすみモードになって、
降りた場所に以後お気に入りになるおいしいお食事処があったり〜〜

、、、とか、、、あるかも!しれないじゃないっすかー

まあ、その現象はいいとして、、、

アタシも含め、そんなに余裕のある大人!っていませんよね。多分、ほとんど。
だってその余裕って「今、ここで買い物をしなくても、いつでもできるし」
はたまた「ここだけのものにこだわらないで、別な場所で買うのもたまにはいいな」
とかまあ、余裕の理由はいくらでもあるだろう。

個人的にアタシはその余裕が持てたらいいな〜と思う。

まだこの地上で僕らのように動いて、何か重たいものを動かしたりはできないかもしれない。
僕らのように言葉を交わして、何かを決めたりできないかもしれない。

そんな子供達はある側面から見たら大人よりも過酷な状況とも言えるのではないか?

、、、先日、友人達と「理不尽」に関して少し話し交わした。
子供達は、大人からの超理不尽にもそのままで受け止めているのだ。
僕らは「もう!無理!!」ってなったりしたら、場所を変えたり、自分で自由に変化できる。
でも子供達は違う。
どんなに嫌のことがあったとしてもその場から自分の意思で動くことはできない。
歩ける子は多少は動けたとしても、赤ちゃんはまったく動くことができない。
動けないからその場で訴えるしかない。
だからこそありのままになるしかないってことでもありますね。

大人でも「もう無理!!」ってことを子供達は理屈を超えた領域で無条件に受け止めている。
う〜すげー

ン〜、受け止めるというか、、、今はやりの、、、受け流しているってことでしょうか。

まあ最新バージョンですから、感じられる領域も僕らよりも断然大きいし、情報もおっもしろい!
フフ、l、、そしてその「ありのまま」パワーで、結局まわりを動かして自分を移動させたり、
自分がより快適になるように色々なことを決めさせたり、、、もうやってくれちゃってますけどね〜〜

でもこっちの翻訳がまずいのか、全然逆やったりして「ごめんね〜」ってときもありますね!

子供達は明らかに今僕ら大人と呼ばれちゃってる人達とは違う領域にいるのだ。
そこはつべこべ考えない領域だ。
素直な領域。
流れのまま。
でも僕らがその領域と別なのかと言ったら、そんなことはない。
ちゃんっと!繋がっている。

そうでありたいと思っているアタシは、子供達といるとなんかワクワクしている。
楽しいとか、楽しくないとかはあんまり関係ないのです。
もっとシンプルな感覚なんですなー
自分がどうなっていくのか〜〜〜?!キャー!って感じです。

まあ、それはバカの領域だとアタシは認識してるんですが、、、結構いい感じなんですよ。


あの街で出会ったことは改めてみんな一緒だわってことを再確認させてもらった。

やっぱ、子供達おもしろいわ〜〜

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