車さんと子供たちとの対話
子供たちが車に!!って、悲しいニュースとしてやっていた、、、
で、すぐあとに
新型の車が発売!〜〜ってCMでやってた、、、
おじちゃんがガード(法も)をもっと作らないと!!
、、、、と、とりあえず言っていた。
車が道を高速で走らないとだめな社会が本当に最善で進化させるべき文化、文明なのか、、、
なぜ若者たちの状態がこういった状態なのか、、、
それの本当の原因を、、、
その現実を、、、
見ることはできない。
その見られない理由もさえも。
だから、同じことが繰り返される。
同じ選択の仕方をしているから。
ガードをしても問題は解決しない。
その現実から目をそらすためのものだから。
その現実を見るのはあまりにも辛いから。
善かれと思ってやっているはず。
でも辛いことになってる。
希望のものを形にできない自分を知るのはつらいから。
これ以上辛くてどうするの!?って。
だからガードをする。
時間のないおじちゃん達はガードをかためていく、、、、
今、若者(子供たちも)がおじちゃんになってきている。
急速に。
かたまってきている。
やばいと思っている。
ミイラだってことを自覚しはじめている。
でも自由を封じられて、、、自由を知らなくて、、、
どうすることもできなくて、、、、
心(自由)と体(不自由)がさらに分離していく。
この分離は心に湧いたものを形にできない様を生み出す。
ストレス。
そのズレの調整や修正が必要。
まわりや自分にも大きな影響を与えながら、、、、
もともと、繋がっているから。
頭に浮かばせた「善いこと」「善かれと」が形になっていくと思われているかもしれないがそうではない。
、、、、
現実は。
実が現れる。
「実は私、、、」が現れる。
目で見える。音で聞こえる。手で触れる。
その「私」だけではない。
心の中の「実はわたし、、、こうでした!」も含まれる。
この目の前に広がる世界は
ほとんどが、その心の中の「実は、、、(実話)」が形になっている。
「実は、、、私、、」の周波数は問答無用に広がっている。
その波が干渉し合い形になっている。
その「実は、、、」の実話が不明な場合、不明な現実がそのまま現れる。
「実は、、、」がクリアであれば、現実はすべて見通せ、クリアになる。
あなたの種(実は、、実、、実話、、)はどんなかしら?
不明?
ご存知?
車を車としての枠の中でとどめるのか、、、、
最新の輸送システムとして進化させるのか、、、、
実話を創造している我々次第なのだ。
どう?
おじちゃん。
マスター(子供たち)は命はってますぜ。
我々大人が無理矢理、設定した学校というものに通わす道だろうが、なんだろうが。
この実話。
できたら見てほしいんだけどーーー

